息子と受験と狂想曲

受験と教育よもやま話

自分語りその2 環境って大事なんだと心底思った予備校時代

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全落ちから予備校へ

大学受験の全落ちから浪人生となった春、

私は自宅から一番近い、

1クラス15人ほどの小さな予備校に通いました。

私はそこで初めて、勉強に真剣に向き合う事になるのでした。

 

その予備校では、

課題をさぼると、講師から皆の前で叱られます。

 

「しなくてはならない事をしないのは、

恥ずかしい事だと思いなさい!」

 

なまくらな私は、1度だけそう叱られました。

確か…英単語を覚えていかなかったのではなかったか。

 

暗記が大の苦手な私には英単語と漢字は苦痛の極みで、

いつも泣きながら覚えたものでした。

共通点は「果てしない」ということ。

一体どれだけ覚えたら終わるんだろうか?

いつになったら終着点にたどり着くんだろうか?

それが見えないとやる気にならない。

 

それでも先生に叱られると思うと、

その恥ずかしさから必死に覚えようとするものです。

そうしている間に成績も上がり、

できるようになれば調子が付くもので、

叱られなくても自分から覚えるようになります。

 

本来ならこうした習慣は、

小学生や、遅くとも中学生の間に身に付けておくべきなのですが、

私の場合、そこがすっぽりと抜け落ちていたのです。

いったい私は何をしていたのかと、情けない気持ちになるばかりです。

 

なにはともあれ、先生方の叱咤のおかげで、

怠け続けた私でも、第一志望の大学に合格できたのです。

本当に感謝しかありません。

 

 大学でのカルチャーショック

意気揚々と入学した大学でしたが、

そこで様々なカルチャーショックを受けることになりました。

 

合格はできたものの、

なにせ1年間しかまともに勉強をしてないのです。

はっきり言えば、

その大学に焦点を当てた受験勉強を叩き込んだだけです。

小学校からコツコツと勉強を続けてきた人には敵わない。

知識の深さと量が全く違います。

 

「私は何も知らない、何もできない人間なんだなぁ…」

そんな薄っすらとした絶望感を感じました。

 

しかしその反面、

これからはしっかりしなくてはと、

前向きな気持ちにもなれました。

自分よりも優秀な人がたくさんいる環境にいると、

刺激をたくさんもらえます。

 

絶望感と希望。

そんな相反する気持ちを抱えて大学生活を送ることになるのですが、

私は母校の大学が大好きで、

そこを卒業できたことは、今でも誇りに思っています。

 

怠けても叱らない先生

思ってみれば小学校から高校まで、

学校の先生が勉強を怠けたことを理由に、

児童生徒を叱っているのを見たことがありませんでした。

 

小学生は皆真面目ですから、

宿題を忘れることはめったにありませんが、

それでもたまに誰かが忘れてきます。

しかし先生は叱りません。

居残ってさせることもありません。

 

中学になっても状況は同じで、

やはり先生が叱ることはありませんでした。

誰に対しても一様に。

 

公立の学校ではこれが普通なのだと、長い間思っていました。

ところが我が子が地元の公立小学校に通い始めて、

それが普通ではなかったことを知りました。

 

子どもの学校では先生は皆厳しく、

宿題を忘れてくると、放課後に残ってしなくてはなりませんでした。

授業中の言葉使いや態度も、厳しく指導しておられました。

たまに中学受験で扱うような問題を紹介したり、

過度な競争はありませんが、

適度な刺激を与えてくれていたように思います。

 

これはどの先生でも同じで、

学校としての方針だったのだと思います。

私が通った小学校のように、

先生一人一人が勝手に動いているという状態とは大違いです。

 

学校は違えど、同じ公立の小学校です。

一体この差は何なのでしょうか?

 時代が違う、ただそれだけのことなのでしょうか?

 

環境は大事

自分の怠けを人のせいにするわけではありませんが、

根っからの秀才や天才は別として、

勉強に関して緩い環境に長くいると、普通の子はダメになってしまいます。

 

勉強をする素養があろうとなかろうと、

他に楽しいことがたくさんあれば、

どうしてもそちらに目が行ってしまいます。


しかも中学になると、

勉強ができることがさほど利にもならない、

利になるどころか不利にさえなる場合もあります。


それでもまだ塾に通っていれば、

学校とは別の「塾の文化」を感じることができますが、

「勉強をがんばろう」という雰囲気のない環境で、

一人で勉強を続けるのは容易なことではありません。

 

学校の勉強は辛いし退屈です。

だからこそ強制が必要なのです。

 勉強を長く続けていくにはどうしたらよいのか。

その方法は子供によって様々だと思います。

 

しかし学校でので教授法はただ一つしかありません。

最も標準的な方法で、総ての子供に対応しようとします。

それは仕方のない事なのですが、

もしその方法に合わなかった時は悲惨です。

勉強のできない子というレッテルを貼られて、ほおっておかれます。

 

たとえ塾でも、合わない場合は同じことが起こります。

子どもと塾の相性をはかるのは非常に難しいですが、

ここが一番の要のように思います。

 

小学校からの12年間、

この期間にどれだけコツコツと勉強し続けたか。

それがその子の、

後の人生を決めると言っても過言ではないと思います。

 

大人になっても勉強は続きます。

資格を取ったり検定を受けたり、新しい仕事を覚えたり。

勉強の仕方を知っているというのは、

生涯に於いて非常に大きな武器になるのではないでしょうか。

 

子どもの頃の12年間。

その大事な時期をどのような環境で過ごすのか。

非常に重い責任を、親は背負っているのだと思います 。

 

 

気持ちを整理するために、自分のことを少しだけ語ってみようと思います ①小学校から高校卒業まで

 

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いつも子供の事をあれこれ言っておりますが、

母である私自身、

「そんなことが言えるのか?」という、

なんともなまくらな学生時代を送っています。

 

今日は少し話を変えまして(反省も込めまして)、

自分の事を語ってみたいと思います。

 

自分語りなんてこっ恥ずかしいのですが、

お付き合いいただければ幸いです。

 

小学校時代

子どもの頃の私は、引っ込み思案で静かな子供でした。

仲の良い友達もいましたが、学校はあまり好きではありませんでした。

大勢の中で過ごすよりも、ひとりで自由に行動していたい、

ひとりで図鑑を見たり音楽を聞いたり、

謎解き本(IQテストのような問題が載っていた)を解いたり。

  

気になる事やしたいことは気の済むまでしていたい。

なのにいつも時間割によって中断させられる。

それが何よりも嫌だったのを覚えています。

 

…こう書くと何やら秀才のようにも読めてしまいますが、

全くそういうのではありませんので、念のため。

  

前の授業のことをいつまでも考えていたり、

気になることをぼんやり空想していたり、

きっと、次々と頭を切り替えるのが下手なんでしょうね。

多分傍目には、

私はいつも、ぼ~っとした子として映っていたと思います。
 

おまけに<まんべんなく>というのができない。

関心のある事は下へ下へとどこまでも掘り下げ、

横へ横へとどこまでも広げていくけれど、

興味のない事は全くしない。

 

学校とか学校の勉強には向かない性格だなと、つくづく思います。

 

それでも、小学校時代は学校の勉強が好きでした。

新しいことを教えてもらうのはとても楽しく、

国語や社会などの教科書はもらったその日に読んでしまうほど、

好奇心旺盛な少女でした。

特に算数が大好きで、

文章題や図形問題をあれこれ考えるのが楽しかった。

 

小学校の高学年になると、

当時の公立小学校の、非常にゆっくりとした歩みに退屈し、

だんだんと学校の授業に興味が持てなくなりました。

 

母親が塾嫌いだったため、

高校3年生で受けた夏期講習まで、塾には一度も通ったことがありません。

そのうえ自宅が郊外だったので、

家の近くには公文式か補習塾しかなく、

普通の学習塾に通うには、バスに乗って3,40分ほどかかります。

中学受験用の塾となるともっとかかります。

 

こうした地理的な不利も重なって、

学校以外で学習する機会を持たないまま、

小中高時代を過ごすことになりました。

 

本当は地元の中学ではなく、国立の中学に行きたかったのです。

同級生の何人かは都心の私立中学に進学しましたが、

それがとても羨ましかった。

 

なぜ親に国立を受けたいと言わなかったのかなぁ…

書店で国立中学の問題集を見たりしていたんですが、

なぜ言わなかったのかは、記憶にないのでわかりません。

 

ただ私の母親は、塾も嫌いでしたが習い事も嫌いでした。

幼稚園の頃はピアノと英語を習っていたのですが、

何やらそれで懲りたようです。

小さい子どもの習い事は、親も大変ですからね。

 

「何かしたい」と訴えるのをためらうような、

どこかそんな雰囲気があったのかもしれません。

結局親には何も言わないまま、

地元の中学に進学することになりました。

 

魔の中学校時代

1970年代後半から80年代は、

都市部の郊外にある公立中学では、

校内暴力が吹き荒れた時代でした。

 

進学した地元の中学も同様で、

常にどこかの窓ガラスが割れている、

たばこの吸い殻がそこここに落ちている、

そんな荒れた学校でした。

 

学校全体が常にざわついている落ち着かない環境で、

私は全く好きにはなれませんでした。

 

学校では、

テレビ番組、芸能界、スポーツ、恋愛以外の話はできない雰囲気で、

友達の輪の中に留まるために、ドラマや歌番組を一生懸命見ていました。

 

今から思えば無駄な労力だと思いますが、

中学生の女の子にとっては、

人の輪の中にいることが、世界で一番大事なことなんですよね。

 

学校では始終気を張っているので、

家に帰ってからは自分のしたい事だけをしたい。

いつしかそんな勝手な理由をつけて、勉強から遠ざかる様になりました。

絵を描く・ピアノを弾く・本を読む・何か作る

ひとりでできるこの4つの事を繰り返す日々が続き、

中学2年から高校3年の卒業まで、

学校の勉強は延々とサボり続けることになります。

 

地元の公立高校へ 

高校は合格できるならどこでもいいわと、

地元の公立高校に進学。

 

トップクラスの生徒は地方国公立大学かMARCHレベルに進学という、

学力的には微妙な高校でしたが(私に言えたことではありませんが)、

生徒は皆穏やかで、落ち着いた雰囲気の良い学校でした。

 

この高校でやっと気の合う友人に出合う事ができ、

学校もまぁまぁ楽しい所だなぁと、初めて思う事ができました。

 

しかし勉強の方は大変です。

なにせ中学2年からサボっているので、数学や英語が全く分かりません。

どこまで戻ればいいのか途方に暮れるという有様。

 

そんな窮状であるにもかかわらず、

相変わらず自分のしたいことばかりを優先します。

一度付いてしまった悪い癖は、なかなか治るものではありません。

 

学校の勉強はしたくない、でも留年もしたくない。

 

仕方がないので定期試験の度に、

出題範囲の問題と解答を

赤点にならない程度に暗記するという荒業でやり過ごしていました。

 

一夜漬けなので内容が身に付くことはありません。

愚かな事ですが、 

毎日コツコツ勉強するという姿勢は、

高校3年の間、ついに一度もありませんでした。

 

数学は中学レベルからわからないまま、

英語は実にあやふやな状態で高校を卒業することになります。

好きな日本史でさえ、ピンポイントではやけに詳しいが、

全体としては怪しい状態、

唯一できるのは国語だけという、なんとも情けない生徒です。

 

中高時代にしていたこと

一体、勉強もせずに毎日何をしていたかと言いますと、

中学生の頃と同じで、

絵を描く・ピアノを弾く・本を読む・何か作るの4択です。

 

本は新書が好きでした。

歴史、心理学系、社会学系など、

人文分野の新書ばかり読んでいました。

 

絵は…中学時代は暗い絵ばかり描いてましたねぇ。

高校では模写ばかりしていました。

マンガから西洋画までなんでも。

特にフェルメールが好きで、本物を見てみたいなぁと夢見ていました。

 

何か作るとは何かと言いますと、

中学時代はプラモデルが主で、

高校時代はフロアランプとお菓子。

 

プラモデル…男の子のような趣味ですよね。

組み立てて、色を塗って、

ジオラマまではいかなかったけど、

当時流行っていたガンプラは、

目の部分に電球を仕込んで悦に浸っていました。

 

完全に<オタク少女>です。

中学校では浮きますよね…。

 

フロアランプは、電球やら配線やらを買ってきて繋げていました。

シェードのデザインや素材も、いろいろ試していました。

 

大学受験

こうして高校3年間が過ぎてゆき、いよいよ大学受験となるのですが、

高校3年生で受けた予備校の夏期講習は、

何も解けず、何もわからず、ただ座っているだけという状態でした。

本当にお金がもったいないです。

 

その結果、大学受験は全落ちという憂き目にあいます。

当たり前ですね。

合格するわけがありません。

 

仕方がないので浪人生となり、

1年後にMARCHレベルの私大・文学部に進学することになります。

 

合格できたからいいようなものの、

予備校時代はほんとうに地獄でした。

 

泣きながら英単語を覚え(ほんとに涙目になってました)、

1ミリも興味のない漢字や文法を覚える日々は<辛い>の一言。

 

しかしこれをやらないと、

次の日、予備校の講師に公衆の面前で叱られる。

ものすごく恥ずかしいので、泣きながらやっていました。

あの時の先生には、本当に感謝しかありません。

 

本日は長くなりましたので、

次回はその辺りから始めたいと思います。 

申し訳ありません…次回に続いてしまいます…。

 

 

お子さんが受験に失敗してしまったお母様方、気持ちは落ち着かれたでしょうか?

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 拝啓

 

全国津々浦々の、

我が子が受験に失敗してしまったお母様方。

もう気持ちは落ち着かれたでしょうか?

 

私は未だ、晴れることはありません。

 

普段は普通にしていても、

ふとした拍子に辛い気持ちが頭の中に充満し、

つい涙ぐんでしまいます。

この先、楽しいとかうれしいとか、

心からそんな気持ちになる日はくるのでしょうか?

 

 

今年はコロナの影響で、学校は遠隔授業が続きましたね。

小・中・高はもう対面授業が始まっているのでしょうか。

大学はいまだに遠隔のところが多いです。

 

本来なら子供は学校に行き、新しい生活が始まります。

ところが春になっても子供は家におり、

6月の現在でもまだ家にいます。

この状況が、母の心の癒しの障壁となっているように感じます。

 

子どもが大学に機嫌よく通っている様子を見れば、

多少なりとも母の気持ちも落ち着くのではないでしょうか。

入学式があり、新しい友達に出合い、サークルの新歓で合格を祝ってもらい…。

そうした一連の儀式があって初めて、

明日に向かおうとする気持ちも生まれて来るのではないでしょうか。

 

それが一切なく、

ただPC相手に授業だけ受けている。

仕方のないこととはいえ、どうしても虚しさばかりが募ります。

 

そもそもなぜ、

我が子の受験の失敗がこんなにも辛いのでしょうか。

 

以前あるブログで、こんなものを読んだことがあります。

お子さんが大学受験に失敗したお母さん。

お家の床一面に、

小さい頃に使っていた知育玩具や絵本、

お子さんの学習に使った様々なものをバッと並べて、

「私の一体何が悪かったのか」と号泣された。

 

…このお母さんの気持ち、痛いほどわかります。

子どもがどうこうというよりも、

母親である自分の不甲斐なさが辛いんですよね。

 

私の何が悪かったのか。

 

考えればきりがないくらい、

<たられば>の後悔が襲ってきます。

なぜああしなかったのか、こうしなかったのか。

 

でも一番最後に行きつくのは、

やはり母である<自分>なんです。

 

こだわりが強くて頑固で、

熱中型で飽き性で、

したいことを我慢するのが苦手で、

その為に今しなくてはならない事が後回しになって、

とことん困った状況になってからでないと重い腰を上げないという、

そんなADHD気質などうしようもない性格である私。

 

どちらかと言うと私に似ている我が子。

このどうしようもない遺伝子を受け継いでしまったのでしょうか。

夫に似ればよかったのに、

なぜ私に似てしまったのかと思ってしまう。

 

遺伝要因か環境か、

どちらも影響すると言われていますが、

まず遺伝要因があってこその環境ではないのかと思うのです。

 

余程劣悪な環境でない限り、

子どもは<自分の持って生まれたもの>が示す方向へ

伸びていってしまうものではないでしょうか。

無理にあっちへこっちへと、

親の気にいるように曲げようとしても、なかなか上手くいかない。

 

子どものもって生まれた特質が<学校の勉強>に向くなら幸運です。

本当に幸運だと思います。

でも違うなら…諦めるしかありません。

 

もうそろそろ諦めないといけないのでしょう。

子どもは私の思うようにはならないということ、

自分は上手くできなかったということを。

 

多分この先いくら考えても、これでよかったんだとは思えないでしょう。

だったら諦めるしかありません。

仕方なかったと諦める。

そうして、

うっすらとした悲しみと一緒に

毎日を暮らしていくしかないのでしょう。

 

全国の<我が子が受験に失敗した>お母さま、

叶う事ならお会いしたいです。

会って一緒に泣きたいです。

泣いて、愚痴って、思いっきり毒を吐き出したい。

 

現実の世界ではなかなかそれができません。

お互いの熱の入れようも違うし、成功した人も多いですから。

 

暫くは誰にも会わず、

心が鎮まるまで、一人で静かに過ごそうと思います。

 

皆さまもどうぞ心穏やかに過ごされますよう、

心からお祈り申し上げます。

 

 

敬具   

 

<普通に育てられる>という事は、皆に等しく与えられているわけではない。非常に幸運なことなのだと思う。

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センター試験&二次試験について書こうと思ったのですが、

なかなかまとまらず時間ばかりが過ぎています。

大学の実名をどうするか、

我が子のプライシーをどこまで書いていいのか。

今更ですが、色々と迷っております。

 

そうこうしている間に、気になるニュースがありました。

2019年7月に発生した「京都アニメーション放火殺人事件」。

その容疑者が、大阪拘置所に移送されたというニュースです。

ストレッチャーに乗せられた容疑者。

こちらを見るその目が、妙に生々しく感じられました。

 

容疑者は青葉真司という42歳の男です。

青葉容疑者の生い立ちについては、様々なところで公開されています。

どれもおおよそ同じ内容ですが、なんとも気が重くなる半生です。

 

しかしその半生が不遇だったという理由で、

事件の容疑者に同情するつもりは毛頭ありません。

犯罪は犯罪として裁かれるべきであると思っています。

 

ただ私は彼のような人物を見るたびに、

ある家族を思い出すのです。

(以下は”である調”で書きます)

 

機能不全家族 

 

異様な一家

もう50年近く前になる。

当時住んでいた家の近くに、その家族は暮らしていた。

両親と年子の男の子が3人。

母親の親が買い与えた家に、その5人家族は住んでいた。

 

たまに母親の親と妹がやって来るだけで、

知人はもちろんのこと、

子供の友達でさえ、訪ねてくることがない家だった。

 

今思えば、

その母親には、精神に何らかの障害があったのだと思う。

幼かった私でも、明らかに何かおかしいと感じるものがあった。

父親の姿を見たことは、ほとんどない。

 

母親は三人の息子たちを、

生まれた時からずっと、家の中だけで育てていた。

文字通り<家の中だけ>なのだ。

 

外に連れ出すことは一切ない。

子供たちが勝手に出ていかないように、

玄関には常に鍵がかかっていたそうだ。

 

子供はどの子も、

保育園にも幼稚園にも通っていなかった。

 

母親は毎日決まった時間に買い物に出かけ、

後は一日中、家から出ることはない。

 

家の中で、子供たちの遊び相手をしているわけではない。

彼女はどうやら、満足に家事ができなかったようだ。

子ども達のオムツも履いたままで、

おもらしで畳が腐っていたという。

 

外に出たい子供たちは、

窓から屋根やひさしの上に登って騒いだり、

たまに母親が鍵を閉め忘れたのか、

下着と裸足のままで外に飛び出すこともあった。

そんな時はその母親が、無言のまま捕まえ家に連れ帰るのだ。

 

表情も変えずに連れ帰るその異様な光景は、

今でもはっきりと思い出せるほど恐ろしかった。

 

3兄弟の長男が小学校に入るか入らないかという頃に、

父親が近隣の山中で自殺をした。

 

母親は夫の死を理解していたのだろうか、

葬式の日の朝、

いつもと同じように買い物かごを持ち、

彼女はスーパーに出かけて行った。

喪服のままで。

 

子ども達のその後 

子どもたちの父親が亡くなったすぐ後に、

私たち家族は引っ越しをした。

 

残された母子を見ていたわけではないが、

残された3兄弟について、母が知り合いから聞いた事によると、

1人は精神の病いを発病し、

1人は万引きや窃盗などの犯罪を繰り返し、

1人は行方が分からないという。

 

すべて、

中学生や高校生に当たる年齢で、だ。

 

今なら早い段階で、

誰かが警察か児童相談所に通報するだろう。

子供たちは保護され、

あの家で暮らすよりは、穏やかな毎日があったかもしれない。

 

<ネグレクト>という言葉や概念もなく、

<他人の家のことには口出ししない>が暗黙の了解だった当時のこと、

その悲惨な環境にいる子供たちに、

救いの手を差し伸べる大人は、一人としていなかった。

ただ噂話が蔓延するだけで、行政が動くこともなかった。

  

人間が人間を育てるという事 

彼らの行く末を知って思うのは、

<普通に育てられる>という事が、

どれだけ幸運なことであるかということだ。

 

<普通に>とは、

育児書にあるような完璧な育児ではない。

 

観音様か聖母マリアでもないかぎり、

子供をありのままに、

すべてを受け入れ愛することは難しい。 

「もっとこうであったなら」

そう思ってしまうのが人間というものだ。

 

複数子供がいれば、

ウマの合う子もいれば、合わない子もいる。

それでも「仕方がないわ」と、半ば諦めて世話をする。

それでいいのだと思う。

 

食育には程遠いが、

お腹が膨れる程度の3度の食事を作ってやり、

快適な寝床を与えてやり、

清潔を保てる程度に身なりを整えてやり、

聞いて、と言えば聞いてやり、

見て、と言われれば見てやり、

たまには感情のままに怒ったり、

お尻にペシッとやってしまったり、

それでも夜、我が子の寝顔を見ては、

あんなことをしなければよかったと後悔したりする。

 

至らないことは多々あれど、

子供が困らず怯えず過ごすことができる環境を用意すること。

 

それが普通の範疇にある子育てだと思う。

  

大人というもの 

しかし世の中には、

そんな<普通の子育て>にさえ、

あり付けない子どもがごまんといる。

 

しかもこの<ごまんといる状況>は、

多分この先もずっと変わらないだろう。

 

何故なら、

大人は概して、

自ら進んで子供の味方になろうとはしないからだ。

 

かわいそうだと思う、自分のモヤモヤした感情を払拭するために、

警察に通報したり、自相に相談したりはするかもしれない。

でもそれは真に<子供の味方になる>という事ではない。

 

大人は、大人の世界の中で生きているのだ。

周りの<大人>と上手くやっていくことが、何より大事なのである。

下手に子供に関わり、

背後の大人といざこざになる事は、誰だって嫌だし避けたいのだ。

 

それは自相の職員や学校の教師も同じことだ。

もっと言うなら、実の親も同じなのだ。

夫や妻、それぞれの目の前にいる大人とうまくやっていきたいのだ。

 

親でさえそうなのだから、

子どもに関わる職業にある者、近隣の住民、

彼らがその職域や責任の枠を超えて子供の味方にならなかったからと言って、

誰に責めることができるだろうか。

大人はすべて、大人の世界の住人なのだ。

 

不遇な子どもを救うもの

子どもを守るための環境は、昔とは比較にならないほど良くなった。

しかしそれはまだまだ万全とは言い難く、

ネグレクトや虐待、同居の親に殺害される子は後を絶たない。

 

強すぎる親権、

血縁を求めすぎる文化、

それゆえに進まない養子縁組、

 

親子の絆を強調しすぎる世間の風潮

親子の縁を取り戻すことばかりを重視する対応策

 

これは<親子神話>と言えないだろうか

 

血縁関係にある親子は繋がっているもの、

絆があるもの、

愛情が行き交っているものであるはずだと、

そう信じて疑わない。

 

確かにそれは美しい話だ。

誰もが納得し、受け入れやすいストーリーなのだろう。 

 

しかしどんなことでも、

美しい話は<神話>を作り上げてしまう。

そしていつの間にか、

そうではないことを、抹殺しようとするものなのだ。

 

<産むこと>と<育てること>は別である

子どもは100%、育てたように育つわけではない。

育ちたいように育つ部分も大きい。

 

それだけに、

子どもの身に起きた事のすべてが、親の責任であるとは言い切れない。

子どもの資質、親との相性、周りの環境や出会い、

様々な要素が絡まって、子供は大人になるのだ。

 

しかしだからと言って、

親は何もしなくてもよいということではない。

産んだ者の責任として、

親には子どもの行く末を真剣に考えてやる義務がある。

 

しかしそれは、

産んだものが育てなくてはならない、という事にはつながらない。

<子どもを産む>という行為と、

<育てる>という行為は、全くの別物だからだ。

 

別物だからこそ、

子どもを生んだ者が、もし育てる事が苦手だと悟った時は、

子どもを何人でも育てたいという家庭に、

養子として手放してもいいのではないか。

 

それは<子どもを捨てる>ということではなく、

子どものより良い環境と未来のために、

<子どもを託す>というふうに考えられないだろうか。

 

<親子神話>からの脱却 

子供に著しく害を与えるような行為を繰り返してしまうのならば、

<育てる>という事自体をやめたほうが良い。

子育ての適性がないと判断し、

親権を捨てる、あるいは剥奪し、養子縁組を進めたほうが良い。

 

決して親の側の事情を斟酌してはならない。

それは大人の味方をしているのであって、

子どもの味方をしている事にはならないからだ。

 

やりすぎるとかなり危険な行為ではあるが、

このくらいの強硬な手段なしには、

本気で子どもを救う事はできないように思う。

 

生んだ者が、

何が何でも自分で育てなくてはならないという考えを、

社会全体が捨てること。

 そして世間にべったりと張り付いている、

<親子神話>から脱却すること。

 

それが、

親にも環境にも恵まれず、

不遇の中で苦しんでいる子どもを救う、

最初の一歩となるのではないだろうか。

 

縁を切った方が幸せになれる絆もあるのだ。

感謝など到底できるものではない親もいるのだ。

捨ててしまいたいほどに育てにくい子もいるのだ。

 

そういう事実から目を背けてはいけない。

 

親子の愛とか肉親の絆とか、

そういった美しい名のもとに、

親や子という一個人に、問題のすべてを押し付けてはならない。

 

今こうしている間にも、

家という密室の中で苦しんでいる子どもがいるのだ。

大人の都合や斟酌から彼らを見捨てることは、

社会に絶望の種をまくことに他ならない。

  

 

ご無沙汰をしておりました。4か月ぶりの更新です。

「明日センター試験が始まります」と書いてから4か月近くが経ってしまいました。

この数か月間、どうしてもここを開くことができなくて。

 

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結論を申しますと、

センター試験、失敗してしまいました。

 

駿台の足切予想ではギリギリの点数。

やむなく出願を諦め、

本人の強い希望で他大学を受験し、合格しました

<浪人覚悟で他学部に出願>は、本人がどうしても嫌だと。

 

合格はしたものの、

複雑な気持ちからずっと逃れることができずにいます。

 

過去問はできていたとはいえ、

冠模試の判定は悪かった。

センター模試も万全ではなかった。

こうなることは想定内の事で、浪人は覚悟していたのです。

 

では何がこんなに辛いのかと言いますと、

なぜもう一度挑戦しなかったのか、と思ってしまうからです。

しかも「他大学を受験する」という決断に至った一因は私にあります。

私が再挑戦への意気込みを消し去ってしまったのではないか。

そんな思いが重しのように、ずっと胸の中に沈んでいて辛いのです。

 

辛いと思う事が、

前進しようとしている我が子に対して、

どれだけ酷いことかは分かっているのです。

 

分かっているのですが、

今更考えても仕方がない事で頭がいっぱいになってしまい、

いつまでもモヤモヤが晴れないのです。

 

合格した大学は立派な大学です。

あれだけ低迷し続けた成績を思うと、よく合格したものです。

息子は最後の最後に頑張ったのだと思います。

 

その頑張りを誉めてやりたい。

よく頑張ったねと言ってやりたい。

 

でも、言えなかった。

それが何よりも辛い。

まったく、愚かな母です。

 

 

次回からはこれまでの事を振り返って書こうと思うのですが、

こういう場合、

大学の実名を出すべきか出さないべきか、非常に悩みます。

 

「A大学が残念でB大学に進学した。」

どうしてもそういう書き方になってしまいます。

それはB大学に対して失礼な事だと思うからです。

 

私が大学生だった時の事ですが、

入学して最初の自己紹介で、

「〇〇大学がダメでここに来ました」

そう言った人がいました。

何十年たった今でも覚えているくらい、嫌な気持ちがしたものです。

私はその大学が第一志望校で、

合格したことがうれしくてたまらなかったからです。

 

でもこうした受験や勉強についてのブログは学校の実名がないと、

一体何のことを言っているのやらわからない、

そういう状態になってしまうのも事実です。

 

さて…どうしましょうか。

  

 

ついにセンター試験が始まりました。あとは神頼みしかない。

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いよいよセンター本番となりました。

12時の今、彼らはちょうどお昼タイムですね。

家でただ待っているのも落ち着かないので、

ブログを更新します。

 

こちらの地域では心配していた雪もなく凍結もなく、

無事に会場まで送り届けることができてホッとしました。

 

自家用車で送ることにしたので、

運転する私はもの凄いプレッシャーだったんです。

何度も会場までを行って確認をしましたが、

それでも「当日何かあったらどうしよう」と落ち着きませんでした。

パンクはしないか、

事故に巻き込まれないか、

予想に反して渋滞していたらどうしよう、などなど。

 

何事も無かったので、本当に良かったです。

 

先週の週末は嘔吐と下痢で不調だった息子ですが、

それ以降はいたって元気で、

今日も体調万全で出かけました。

 

息子は初めての会場なので、案内係りの夫が一緒に校内までついて行ったのですが、

会場前に各学校からの応援の先生とのぼりがたくさんあってびっくりしたそうです。

 

今はスゴイですね。

学校の先生が応援に来てくださるんですね。

 

あまりの人数に圧倒され、会場の少し前で息子と別れたので、

息子の学校が来ていたかどうかは分からないのですが。

 

良い点を取ろうなんて思わなくていいからね。

いつも通りできればいいからね。

もしできなくても、逃げ道は他にもあるよ。

そんなことを言って見送りました。

少々後ろ向きな発言ですね(-_-;)

 

息子を送った帰り道、

ちょっと足を延ばして、地元の神社にお参りに行きました。

ここまで来たなら、あとは神頼み。

 

どうかどうか、問題は易し目でお願いします。

傾向が変わっていませんように。

途中で体調不良になりませんように。

 

菅原道真公がこちらを向いてくれるように、

本坪鈴(ほんつぼすず)をガラガラ鳴らしてお願いしました。

 

それにしても、2日続けて試験があるって嫌ですね。

今日はどんな話題で過ごしたらいいのやら。

何も聞かない、何も言わない、

東照宮のお猿さん状態でいるしかないですね。

 

昨日、よせばいいのに2019年の追試(英語&国語)を解いていた息子。

英語が良くなかったようで、急に不安になっていました。

なぜ前日にするのかなぁ。

「追試は追試、本試では出ないからね。」と慰めましたがどうなのか。

 

国立の入試は始まったばかり。

体調不良で受けられない事態だけは避けたいので、

今日は何もせず、ゆっくりしてほしいです。

(多分、明日の理科をやるだろうなぁ・・・)

 

 

 

あと2日でセンター試験本番! 気持ちを静めて、持ち物の準備をする。

 

いよいよ、センター試験まで2日となりました。

 

息子は先週の土曜日、嘔吐と下痢でダウン。

1回だけだったので、ノロウイルスなどの感染症ではないと思いますが、

疲れが溜まっているようなので試験勉強はすこしクールダウンすることに。

(…と思っていたのですが本人はそれでは落ち着かないようで、結局普段通り勉強していました)

 

模試では最後まで結果を出すことはできませんでしたが、

過去問では目標である8割は超えているので、

これでよしとします。

 

母は落ち着かない気持ちを落ち着けるために、

当日の持ち物の準備をしております。

 

1セットをパックにしてみました。 

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中身は・・・。

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先週のことがあるので正露丸を。

頭痛持ちのため、痛み止めを忘れずに携帯。

チュアブルのも入れておく。

胃薬に、

小腹がすいた時のためのカロリーメイトのクッキー

すぐ指を切るのでばんそうこうも。

 

まるで救急箱のようになっております (*_*)

 

薬局をうろうろしていると、こんなものを見つけました。

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お口ぐちゅぐちゅ薬なのですが、
アルコールフリーなのでピリピリ痛くない。
ほんのりレモン味で、ものすごくすっきりします。
出てくる液体が茶色なので、ペッと吐き出した時の色にびっくりしますが

これも1日1本入れておきます。

 

そしてこれ。

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いつも使っている温マスク。

当日は使わないと思いますが、お昼休みにどうかと。

 

息子は左右の視力のバランスが悪いので目が疲れやすい。

頭痛がするのもこれが原因だと思いますが、

眼鏡で調整しても同じなのでどうしようもなく。

まぁ、どうしてもの時の助けになればいいかな。

 

さて、<心のお供>のこれ。

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そう、鼻セレブです。

かわいいですよねぇ。

特にこのうさぎさんが一番かわいい。

本番で気持ちがすさんで来たら、これを見て癒されよう!

 

ティッシュとともに、タオルハンカチも3枚投入。

 

あとは、お昼ごはんに<ランチパック>を2つ。

ランチパックも口に入らない時のためにカロリーメイト・ゼリー>

飲むくらいなら飲めるでしょう。

ちょいとつまめるチョコレートも入れておこうかな。

 

なんだかピクニックのようになってきましたが、

備えあれば…で入れておきます。

 

さてさて、泣いても笑ってもあと2日。

平常心で挑めたらいいなぁと思います。

そして、どうかどうか雪が降りませんように。