息子と受験と狂想曲

受験と教育よもやま話

「AIに負けない子どもを育てる」を読んで思うこと。 能力を測るには「試験」しかないが、そこには必ず限界がある。

f:id:kaze-hikaru:20201014153725p:plain

出典:代々木ゼミナール

 

はじめに  

前回は「AI vs 教科書が読めない子どもたち」の要約でした。

その感想と、

続編でもある「AIに負けない子どもを育てる」について

書こうと思いつつ数か月が経ってしまいました。

 

というのも、

「AIに負けない子どもを育てる」を読んだ後に

なんだか違和感が残りまして…。

その違和感が何なのかがまとまらず、

こんなに日が経ってしまったという次第です。

 

書籍として売るためには、

主張をはっきりと、

時には極端なことを書かなくてはならないのはわかりますが、

それにしてもなんだろうか…

この嫌は読後感は…

 

テストの体験版をやってみた

先ずは本文中にある、

リーディングスキルテスト」の体験版を試してみました。

結果は非常にビミョ~な点数です。

 

係り受け 10

照応解決 10

同義文判定 6

推論 7

イメージ同定 6

具体例同定・辞書 4

      数理 7 

(点数は10点満点) 

 

総得点は50/70点。

正答率は71%。

 

できないといけない最初の2項目は

何とか満点で一安心。

 

でもその他は、

どれもこれもといった感じですねぇ。

大人の平均は6点だそうですが、

下回っている項目もあります…。

 

…新井先生に

あれこれ言える点数ではないですねぇ…。

 

間違った問題のレベルは

<易しい>から<難しい>までいろいろで、

地団駄踏むようなうっかりミスもありました。

 

ただ、

自分はどんなところで間違うのか

それがはっきりしていて面白いです。

 「うっかりミス」と「考えすぎ」

私のミスはこのどちらか。

 

「うっかりミス」については、

弁解の余地もありません。

注意力散漫。

反省して改善に努めます。

 

ただ「考えすぎ」については、

一体どうしたらいいのか?

 

センター試験と同じ匂いがする

息子に私のテスト結果の話をすると、

 

「それ、センター試験と同じだね」。

 

リーディングスキルテスト」は

センター試験の国語(現国)と似ていると言います。

そして息子も

私と同じような間違い方をするんだと。

 

そういえばそうでした。

息子も塾では何度も

「考えすぎだ」と言われていました。

 

どういう間違い方をするのか説明したいのですが、

テストですから設問を転載することはできません。

わかりずらいですが一部だけで。

 

例えば、

私が4/10点しか取れなかった「具体例同定の辞書」

問題は「消費」を説明する文章でした。

 

私は説明文の一部、

「人間が欲望を満たすために」

という言葉にこだわってしまいました。

 

「この選択枝の内容は、

<人間が欲望を満たすため>と合致するのか?」

 

この判断に時間がかかったうえ、

答えがわからなくなってしまいました。

 

また同じよう「使う」という言葉にも

引っかかってしまいます。

 

「使う」とはどういう状態を指すのか?

これは「使う」に当てはまるのか?

こんなことに散々迷う。

 

なぜそこの説明や条件がないんだ!

この手の試験を受けるといつもそう思います。

 

しかし新井先生によると、

説明文の中に答えは必ずあるそうなので、

あれこれ考えてしまう

こちらの責任という事なのでしょう。

 

これは息子が

センター試験が苦手だった原因と同じです。

 

こう考えればこの選択枝が正解、

ああ考えればこれも正解という風に、

思考の深みにはまって間違うという惨事が

幾度となく繰り返されました。

 

リーディングスキルテストは

センター試験と同じ匂いがします。

 

<得点=理解度>は本当なのか?

「読める」という状態は

 

それでは「読める」とは

どういう状態をいうのでしょうか。

本文中にはこのように記されています。

 

➀語彙の意味を理解する。

②構文を正しく把握する。

③機能語(前置詞・接続詞・助動詞など)の用法を理解し、

正しく使う。

 

なるほどその通りです。

  

しかし、です。

上の3点ができていても、

リーディングテストで得点できない事が

あるかもしれません。

 

私や息子が「考えすぎ」で得点できないように、

できない人には、

それぞれの理由や原因があるかもしれません。

 

得点できなければ「読めていない」と判断されますが

本当に読めていないのでしょうか?

 (学習障害などは除きます)

 

「試験」というものの限界 

 

試験というものは正解して初めて

「理解している」とみなされますが、 

同じ正解・不正解でもその中身は違います。

 

意味を理解して正解しているのはもちろんですが、

所謂テクニックで得点している場合もあります。

 

センター試験の国語(現国)などは、

本文をほとんど読むことなく解答する事が可能だそうです。

しかもその方が常に高得点を獲得できるという

不思議なシステムになっています。

 

ですが試験は合格するためのものですから、

テクニックで解いても何の問題ありません。

 

「テクニックで高得点」は国語の能力というよりも、

要領の良さや、

教えられたとおりに実行する素直さなどなど、

学力以外の多面的な能力が測られ、

それが高得点だったということかもしれません。

ひょっとしたらそのテクニック自体が、

センター国語で求められる「国語力」なのかもしれません。

 

要は良い悪いではなく、

「試験とはそういうものだ」ということです。

 

試験によって、

作成者の意図通りの「何か」を正しく測ることなどできないし、

同じ試験でも人によって「測られる能力」は違うのです。

 

「違和感」の正体

新井氏の著書を読んで感じた違和感とは、

そういう事です。

 

リーディングスキルテストが「読む」ということに関して

万能なものであるという主張、

そして、

「読んでわかる」ことが何よりも大切なんだという考えに、

私はどうしても違和感を感じてしまいます。

 

そこには、

「人は皆同じである」という

思想を感じるからです。 

 

「同じ方法で同じように努力すれば、

みんな同じようにできるはずだ」

そういう信念を感じてうんざりするのです。

 

スキルテストの点数と学業成績には

高い相関性があるそうです。

 

そうだろうなぁと思います。

 

でもそれは、

「文章が読めるようになれば学業成績が上がる」という事と

イコールではないと思います。

 

読める子は最初から読める。

だから学業成績が高い。

それだけのことではないでしょうか?

 

数学の教科書が読めないのは、

文章が読めていないからだとありますが、

数学の教科書のような書き方が、

どうしても理解できない子もいます。

 

読んでわからなければ

言葉で教えてもらえばいいと思うのですが、

それではダメなんでしょうか?

 

たとえ訓練に訓練を重ねて読めるようになったとしても、

そこには限界があるだろうし、

様々な面で最初から読める子と

同等にはならないだろうと予想します。

 

オーソドックスな方法で勝ち進んできた人は、

「みんな同じ、やればできる」

悪気はなく本気でそう思うのかもしれませんが、

残念ながらそうではないということは、

自分自身や息子を見ていて

嫌というほど感じます。

 

最後に

文句をたらたらと書いてしまいましたが、

子どもたちにもうこれ以上、

受けなくてはならない試験を増やしてあげたくないというのが

本音でもあります。

 

しかしながら、 

新井紀子先生の、

教育を科学的に検証・実証しようとする姿勢

本当に素晴らしいことだと思います。

 

教育改革において、

今までどれほどこの部分が欠けていたことか。

 

私立学校や塾にお金をかけず、

勉強好きの生徒はだれでも、

旧帝大を目指せるようになってほしいとの熱い思いにも、

心から共感します。

 

言うだけではなく実行されるところが、

新井先生の素晴らしいところですね。

 

リーディングスキルテストは大変面白いので、

皆様も一度挑戦してみてはいかがでしょうか。

 

ご自分の思考の癖がわかるかもしれませんよ。

 

 

本日はお読みいただき、

ありがとうございました。