息子と受験と狂想曲

受験と教育よもやま話

模試の判定…気になりますよね。でも子供の受験が終わって思うのは、判定はそれほど気にしなくてもいいんじゃないかという事です。

 

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今年も残り2か月となりました。

受験生はいよいよ最後の追い込みですね。

 

コロナの影響で、模試がweb受験の予備校もあるようですね。

いつもと違うので不安もあるかと思いますが、

どうぞ落ち着いて、

いつも通り頑張ってほしいです。

 

*****

 

さて当ブログ、

いちばん読んでいただいているページは

「模試の判定を気にしますか?」です。

 

これですね☟ 

everyday-diary.hatenablog.com

 

***** 

 

模試の結果は誰でも気になりますし、

我が家でもあれこれ考えました。

 

でも最終的には、

判定に関係なく受験すると決めました。

 

結果は、センター試験の失敗により一次敗退。

2次に進めない悔しさ、辛さは大変なものでした(本人も親も)。

 

受験にも失敗し、模試の結果も良くなかったので、

受験や模試についてあれこれ言う資格はないのですが、

それでも敢えて言いますと、

模試の結果は、そんなに気にしなくてもいいのではないか

という事です。

 

合否判定は、1つの参考材料でしかありません。

模試の判定という客観的な物差しも大事ですが、

所詮、模試は模試です。

 

過去問を解いた手ごたえはどうですか?

あと3か月で穴は埋められそうですか?

最後に決めるのは、

受験生本人の「いけそうだ」という確信ではないでしょうか

  

***** 

 

大学受験は、

1ミリでも上位の大学を目指す場合が多いです。

自分のそれまでの実力よりも上を目指すのですから、

ギリギリ間に合うかどうかというのが実情でしょう。

 

高校3年の春には、既に合格圏内に入っていた。

そんな人でもない限り、A判定なんてなかなか取れません。

B判定も似たようなものです。

C判定が出ていれば御の字。

 

国立の冠模試なんて、

東大・京大以外は駿台と河合が1回ずつ、

合計2回だけの所が多い。

たった2回の模試の判定で、

どれだけのことがわかるでしょうか? 

しかも10月とか11月とかの、です。

 

*****

 

そもそも模試とは合否判定のためではなく、

「あなた、ここができていませんよ」という

メッセージを受け取る為のもの。

自分の弱点や不完全な箇所を教えてもらい、

残りの時間で埋めていく。

 

だから判定は何であっても、

本番までに埋めきる事ができれば、

それでいいのです

 

国立二次の場合、

冠模試から本番まで3か月もあります。

穴を埋めるには十分な時間ではないでしょうか。

 

***** 

 

過去問に手ごたえがあるのなら、

どうしてもその大学を受けたいのなら、

判定が何であれ、受ければいいと思います。

本番までの残り時間を死に物狂いで頑張ればいい。

 

受験が終わった後に、

「やっぱり受ければ良かった」と

後悔する事だけは無いように。

 

「受けていたら合格していたのではないか」

そう思うことが一番つらいです。

不合格通知を受け取るよりも辛く悲しい。

 

どうぞ今までの努力が無駄になりませんように、

自分を信じて、最後まで粘りに粘ってほしいです。

 

受験生の皆様の健闘を祈ります。

 

 

 

 

「AIに負けない子どもを育てる」を読んで思うこと。 能力を測るには「試験」しかないが、そこには必ず限界がある。

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出典:代々木ゼミナール

 

はじめに  

前回は「AI vs 教科書が読めない子どもたち」の要約でした。

その感想と、

続編でもある「AIに負けない子どもを育てる」について

書こうと思いつつ数か月が経ってしまいました。

 

というのも、

「AIに負けない子どもを育てる」を読んだ後に

なんだか違和感が残りまして…。

その違和感が何なのかがまとまらず、

こんなに日が経ってしまったという次第です。

 

書籍として売るためには、

主張をはっきりと、

時には極端なことを書かなくてはならないのはわかりますが、

それにしてもなんだろうか…

この嫌は読後感は…

 

テストの体験版をやってみた

先ずは本文中にある、

リーディングスキルテスト」の体験版を試してみました。

結果は非常にビミョ~な点数です。

 

係り受け 10

照応解決 10

同義文判定 6

推論 7

イメージ同定 6

具体例同定・辞書 4

      数理 7 

(点数は10点満点) 

 

総得点は50/70点。

正答率は71%。

 

できないといけない最初の2項目は

何とか満点で一安心。

 

でもその他は、

どれもこれもといった感じですねぇ。

大人の平均は6点だそうですが、

下回っている項目もあります…。

 

…新井先生に

あれこれ言える点数ではないですねぇ…。

 

間違った問題のレベルは

<易しい>から<難しい>までいろいろで、

地団駄踏むようなうっかりミスもありました。

 

ただ、

自分はどんなところで間違うのか

それがはっきりしていて面白いです。

 「うっかりミス」と「考えすぎ」

私のミスはこのどちらか。

 

「うっかりミス」については、

弁解の余地もありません。

注意力散漫。

反省して改善に努めます。

 

ただ「考えすぎ」については、

一体どうしたらいいのか?

 

センター試験と同じ匂いがする

息子に私のテスト結果の話をすると、

 

「それ、センター試験と同じだね」。

 

リーディングスキルテスト」は

センター試験の国語(現国)と似ていると言います。

そして息子も

私と同じような間違い方をするんだと。

 

そういえばそうでした。

息子も塾では何度も

「考えすぎだ」と言われていました。

 

どういう間違い方をするのか説明したいのですが、

テストですから設問を転載することはできません。

わかりずらいですが一部だけで。

 

例えば、

私が4/10点しか取れなかった「具体例同定の辞書」

問題は「消費」を説明する文章でした。

 

私は説明文の一部、

「人間が欲望を満たすために」

という言葉にこだわってしまいました。

 

「この選択枝の内容は、

<人間が欲望を満たすため>と合致するのか?」

 

この判断に時間がかかったうえ、

答えがわからなくなってしまいました。

 

また同じよう「使う」という言葉にも

引っかかってしまいます。

 

「使う」とはどういう状態を指すのか?

これは「使う」に当てはまるのか?

こんなことに散々迷う。

 

なぜそこの説明や条件がないんだ!

この手の試験を受けるといつもそう思います。

 

しかし新井先生によると、

説明文の中に答えは必ずあるそうなので、

あれこれ考えてしまう

こちらの責任という事なのでしょう。

 

これは息子が

センター試験が苦手だった原因と同じです。

 

こう考えればこの選択枝が正解、

ああ考えればこれも正解という風に、

思考の深みにはまって間違うという惨事が

幾度となく繰り返されました。

 

リーディングスキルテストは

センター試験と同じ匂いがします。

 

<得点=理解度>は本当なのか?

「読める」という状態は

 

それでは「読める」とは

どういう状態をいうのでしょうか。

本文中にはこのように記されています。

 

➀語彙の意味を理解する。

②構文を正しく把握する。

③機能語(前置詞・接続詞・助動詞など)の用法を理解し、

正しく使う。

 

なるほどその通りです。

  

しかし、です。

上の3点ができていても、

リーディングテストで得点できない事が

あるかもしれません。

 

私や息子が「考えすぎ」で得点できないように、

できない人には、

それぞれの理由や原因があるかもしれません。

 

得点できなければ「読めていない」と判断されますが

本当に読めていないのでしょうか?

 (学習障害などは除きます)

 

「試験」というものの限界 

 

試験というものは正解して初めて

「理解している」とみなされますが、 

同じ正解・不正解でもその中身は違います。

 

意味を理解して正解しているのはもちろんですが、

所謂テクニックで得点している場合もあります。

 

センター試験の国語(現国)などは、

本文をほとんど読むことなく解答する事が可能だそうです。

しかもその方が常に高得点を獲得できるという

不思議なシステムになっています。

 

ですが試験は合格するためのものですから、

テクニックで解いても何の問題ありません。

 

「テクニックで高得点」は国語の能力というよりも、

要領の良さや、

教えられたとおりに実行する素直さなどなど、

学力以外の多面的な能力が測られ、

それが高得点だったということかもしれません。

ひょっとしたらそのテクニック自体が、

センター国語で求められる「国語力」なのかもしれません。

 

要は良い悪いではなく、

「試験とはそういうものだ」ということです。

 

試験によって、

作成者の意図通りの「何か」を正しく測ることなどできないし、

同じ試験でも人によって「測られる能力」は違うのです。

 

「違和感」の正体

新井氏の著書を読んで感じた違和感とは、

そういう事です。

 

リーディングスキルテストが「読む」ということに関して

万能なものであるという主張、

そして、

「読んでわかる」ことが何よりも大切なんだという考えに、

私はどうしても違和感を感じてしまいます。

 

そこには、

「人は皆同じである」という

思想を感じるからです。 

 

「同じ方法で同じように努力すれば、

みんな同じようにできるはずだ」

そういう信念を感じてうんざりするのです。

 

スキルテストの点数と学業成績には

高い相関性があるそうです。

 

そうだろうなぁと思います。

 

でもそれは、

「文章が読めるようになれば学業成績が上がる」という事と

イコールではないと思います。

 

読める子は最初から読める。

だから学業成績が高い。

それだけのことではないでしょうか?

 

数学の教科書が読めないのは、

文章が読めていないからだとありますが、

数学の教科書のような書き方が、

どうしても理解できない子もいます。

 

読んでわからなければ

言葉で教えてもらえばいいと思うのですが、

それではダメなんでしょうか?

 

たとえ訓練に訓練を重ねて読めるようになったとしても、

そこには限界があるだろうし、

様々な面で最初から読める子と

同等にはならないだろうと予想します。

 

オーソドックスな方法で勝ち進んできた人は、

「みんな同じ、やればできる」

悪気はなく本気でそう思うのかもしれませんが、

残念ながらそうではないということは、

自分自身や息子を見ていて

嫌というほど感じます。

 

最後に

文句をたらたらと書いてしまいましたが、

子どもたちにもうこれ以上、

受けなくてはならない試験を増やしてあげたくないというのが

本音でもあります。

 

しかしながら、 

新井紀子先生の、

教育を科学的に検証・実証しようとする姿勢

本当に素晴らしいことだと思います。

 

教育改革において、

今までどれほどこの部分が欠けていたことか。

 

私立学校や塾にお金をかけず、

勉強好きの生徒はだれでも、

旧帝大を目指せるようになってほしいとの熱い思いにも、

心から共感します。

 

言うだけではなく実行されるところが、

新井先生の素晴らしいところですね。

 

リーディングスキルテストは大変面白いので、

皆様も一度挑戦してみてはいかがでしょうか。

 

ご自分の思考の癖がわかるかもしれませんよ。

 

 

本日はお読みいただき、

ありがとうございました。 

 

 

 

「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」を読んで。 東ロボくんの挑戦と子供たちの読解力 

 

はじめに

2018年に発行された新井紀子氏の著書

「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」

 

新井氏は数理論理学が専門の研究者で、

「ロボットは東大にはいれるかプロジェクト」

別名「東ロボくん」のディレクターを務めておられます。

 

発売された当時話題になったので、

ご存じの方も多いのではないかと思いますが、

後半の「読解力」については興味深いです。

 

ちなみに前半はAI開発の現状と、

シンギュラリティ―はSFであるというお話です。

 

久しぶりに調べてみると、

リーディングスキルテスト」が公式な試験として

一般の人にも受検が可能になったのですね。

素早い動きでびっくりしました。

「共通テスト」が関係しているのでしょうか。

 

今更となりますが、

本の内容や感想を書いてみたいと思います。

 

2回連載の予定ですので

よろしくお願いいたします。

 

東ロボくんの挑戦と限界

 

2011年から東大合格を目指して

猛勉強を始めた東ロボくんですが、

2016年の模試を最後に、

大受験を諦めることになります。

 

代ゼミ東大プレでは、

数学で72という高偏差値を出しますが、

後が続きません。

 

世界史51.8

英語50.5

国語49.7

英語と国語がどうしても伸びない

 

進研模試・5教科8科目の偏差値は57.1~57.8

今後どんなに頑張っても60が限度

65を超えるのは不可能だろうという判断だったようです。

 

東大は無理でもセンター模試の結果から、

受験生50万人のうちの上位2割に入っています。

大学名で言うと、

MARCH(一部の学科)の合格圏内に入っていることになるそうです。

 

大学入試の成績と仕事をする能力が

必ずしも一致するものではないとしても、

人間である私としてはかなりの焦りを感じます。

 

AIが職場に参入してくる(もうしている)現在、

彼らAIに対抗でき得る人間は

はたしてどのくらいの割合で存在するのか。

 

リーディングスキルテスト

 

人間のライバルとなるかもしれないAI。

彼らと共に生きていくには

AIにはまねのできない、

人間独自の能力を発揮するしかありません。

 

応用力や発想力、

そして読解力を基盤とした

コミュニケーション能力や理解力。

 

新井氏のチームは、

「読解力」の調査を行いました。

現在(調査当時)の中高生の

読解力はどれくらいなのか?

 

ただしこの調査で言う「読解力」とは、

難しい評論文を読むとか文学を味わうとかではなく、

短い説明文を読み、

その内容をきちんと理解することを指しています。

 

全国の中高生・社会人、

合わせて2万5千人を対象に

「基礎的読解力調査」を行います。

調査に使用したのは、

チームが開発した

リーディングスキルテスト」です。 

 

調べた項目は以下の6項目。

 

係り受け

主語・述語の関係など、

文節を理解する

 

②照応

指示代名詞が何を指すのかを理解する

 

③同義文判定

二つの文章を読み比べ、

意味が同じかどうかの判定をする。

 

④推論

常識・経験・知識を使って

文章の意味を理解する。

 

⑤イメージ固定

文章と図形やグラフを比べ

内容一致を判断する。

 

⑥具体例同定

ある定義を読み、

それと合致する具体例を認識する。 

 

それで結果はどうだったかと言いますと、

これがけっこう悲惨です。

 

こちらのサイトに例題が載っています。

www.s4e.jp

 

2ページ目から例題が始まります。

toyokeizai.net

  

ロボットの苦手と人間の苦手は同じ?

 

 調査の結果、

AIが苦手とするのは4項目。

 

 

先ずは「同義文判定」

書き方の違う2つの文章が、

同じことを意味しているかどうかの判定です。

 

素人目には「できるんじゃないか」と思いますが、

長年の研究にも関わらずうまくいかないのだそうです。 

 

同義文判定ができるようになれば、

入試試験の「記述問題」採点を

AIに任せることができます

しかし実現はまだまだ先のようです。

 

残りの3つ、

「イメージ同体」、「具体例同体」、「推論」。

「常識」「意味を理解すること」が必要な項目です。

 

例えば「推論」の問題を本文から抜粋しますと、

 

 

エベレストは世界で最も高い山である。

 

この文に書かれていることが正しいとき、

下の文に書かれていることは正しいか。

 次のうちから答えなさい。

 

➀「正しい」

②「間違っている」

③「これだけでは判断できない」 

 

エルブルス山はエベレストよりも低い。

 

 

 

thinking time ・・・

 

 

 

答えは➀の「正しい」です。

 

これは言葉の常識というか経験というか、

エベレストが「最も高い」のであれば、

その他の山はすべてエベレストよりも低いことになります。

エルブルスという山を

知っているか知らないかは問題ではありません。

 

機械はこの手の問いが苦手なんですね。

 

どれだけ高度になっても、

AIは単なる「計算機」でしかありません。

意味を理解せず常識がない「計算機」には、

できなくても無理はないのです。 

 

ところが、です。

AIにできない問題が、

同じように人間にもできないのです。

これは大変です。

 

結果は悲惨 

リーディングスキルテストの単純な正答率

次のようになりました

 

中学3年生と高校2年生の結果を載せました。

単位は(%)、まずい分野を赤字にしています。

 

 「係り受け

中学生:73.7

高校生:81.5

これはさすがに正答率が高いです。

 

「照応」

中学生:74.6
高校生:82.2

 まだまだ高い。

 

「同義文判定」

中学生:70.6

高校生:81.0

これは嬉しい。

AIの苦手分野ですから、

人間に活路有りです。 

…と思いましたが、

これが後で衝撃を受けます。

 

「推論」

中学生:64.6
高校生:68.5

少しあやしくなってきました。

 

「イメージ同定」

中学生平均:38.8 

高校生平均:54.6

これは低い。

中学生は半分を切っています。

 

「具体例同定」

➀辞書

中学生:42.2

高校生:43.9

 

②数学

中学生:34.2

高校生:42.4

こちらも低い。

特に数学がひどいです。

中学生は3割しかできていない。 

 

これだけでもまあまあ悲惨な結果ですが、

もっと悲惨な事実が判明します。

 

もっと悲惨な「ランダム率」

 

単純な正答率から

「ランダム率」を計算します。

 

と言うのも、

テストはすべて選択問題です。

鉛筆を転がしたりテキトーに答えても、

4択なら25%、

3択なら33%の確率で正解してしまいます。

 

そうした「鉛筆転がし並み」の人の割合を表したのが「ランダム率」です。

要するに「全くできない人の割合です。 

 

さあでは、

AIが苦手なものだけについて発表します。

 

「同義文判定」

中学3年 70.2

高校2年 65.7

 

「推論」

中学3年 43.4

高校2年 37.6

 

「イメージ同定」

中学3年 31.1
高校2年 13.4

 

「具体例同定」

*辞書

中学3年 48.7
高校2年 53.4

*数学

中学3年 79.4
高校2年 57.6

 

同義文判定はどうしたのでしょうか?

全くできない人が「7割」とは!

できていると思ったのは錯覚だった?

 

さぁ、この結果をどうとらえましょうか。

 

学習障害の疑いも含まれるかもしれません。

あとは語彙の不足か、

集中して文章を読む訓練ができていないのか。

 

次回は

著書の内容も含めての感想になります。 

 

新井紀子先生が東ロボくんについて、

TED でお話しされています。

日本語字幕付きです。

digitalcast.jp

 

 

 

 

「暴走育児」を読んで思う。育児が苦行になる原因は、母親自身の中にある。

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 初めに

 

今回の内容もかなり暗いです…(-_-;)

 

「さぁ、これから子供の受験がんばるぞ!」と言う方は、

どうぞそのまま画面を閉じてください。

 

子どもの大学受験が終わってから、

なぜこうなってしまったのか、

なぜ私はここまで絶望しているのか、

自分の気持ちを整理中です。

 

ですので…

悲壮感漂う暗~い内容が続きます…。

あしからずご了承ください。

 

「暴走育児」という本

 

2009年に発行された新書、

「暴走育児・夫の知らない妻と子のスウィートホーム

石川結貴 著 

 

 

以前に読んだものを、

再び読み返してみました。

 

前半は「ヤンママ」を中心に、

後半は「教育熱心な親」について書かれています。

 

なかには、極端だなぁと思う例もありますが、

うなずける点も多いです。

 

最初に読んだのは

子供がまだ小学生のころ。

その時も、

「ここに書いてあるのは私のことだ」

と思いましたが、今は更にそう思います。

 

多くを教え、与え、

伸びる子、できる子、

やる気のある子を育てるための競争をつづけて、

ではいったい

どんな希望があるのかと問うたとき、

母親たちは

その答えを探せなくなっている。

<中略>

長い時間と多額のお金を費やし、

愛し、尽くし、

励まして懸命に子育てをしたところで、

さていったい

「私」は何を得られるのか。

 

(本文より)

 

重い責任やつきまとう選択、

場合によっては

リスクとなりかねない子育てが

「途中で投げ出せない負債」のように思える人は、

今後増えていくのではないだろうか。

 

(本文より) 

 

自分の育て直しとしての子育て

 

子育てをやめたい、

投げ出してしまいたい、

このまま逃げてしまうことができれば

どんなに楽かと、

何度も思ったことがあります。

 

私には

「子育てのお手本」がありません。

子どもはこう育てたらいいという、

見習うべき指針がないのです。

 

私の母は自分のことが最優先、

子どもの事は二の次という人でした。

 

決して悪気はないのですが、

人への共感性が低く、

感情のコントロールが下手なので、

そうなってしまうのです。

 

母なりに、

私をかわいがってくれたのだろう、

大事に思ってくれたのだろうと理解していますが、 

愛情表現に乏しい母親を、

私はどうしても

好意的に受け止めることができませんでした。

 

自分にもし子供が生まれたら、

絶対に母のようにはならない。

 

勉強ができる環境を整えてあげたい。

できるだけの愛情を注いであげたい。

自分がしてもらえなかった事のすべてを、

子どもにはしてあげたい。

 

それは子供のためでもあり、

同時に私自身のためでもありました。

私は子供とともに、

自分の子供時代をやり直したかったのだと思います。

 

負けたという思い

 

そんな強い思いを持って始めた子育てでしたが、

思った以上の大変さに、

何度も投げ出したくなりました。

 

お手本のない中で情報を集め、

何が良いのか悪いのか、

1つ1つ取捨選択をしなければならない。

 

いっぽ歩けば分かれ道。

そんな迷路のような道中を、

子どもの手を引いて

暗中模索を続けなければならない。

 

そんな大変な思いをしたにもかかわらず、 

中学受験でも大学受験でも、

子供を頂上に押し上げることはできませんでした。

 

「負けた」と思いました。

 

あの母の娘だから、

こうなったような気がしました。

 

「自分はできる!」

そんな意気込みを、

木っ端みじんに砕かれたような気がしたのです。

  

それでも「学歴」にこだわってしまう

 

失敗は許されないかのごとく、

より正しい子育てをし、

より良い結果を求めなくてはならない。

自分だけが努力するならまだしも、

周囲も同じようにがんばるわけだから、

いっそどう育てるかに必死にならざるを得ない。

<中略>

子どもの優秀は親次第、

親の努力が将来を決めるといった風潮は、

子どもからすればやりきれないし、

親にとっても相当なプレッシャーとなるだろう。


(本文より)

 

私はもともと、

「学歴至上主義」ではありませんでした。

 

東大や京大に合格するのはすごいことだけど、

それはその人に

「東大や京大に合格できる素養」があっただけのこと。

 

学校の勉強は「やれば誰でもできる」と言われますが、

決してそうではないと思います。

 

学校の勉強の出来不出来を決めるのは、

第一に「継続する力」です。

それには大きな個人差があります。

 

数の子どもを育てた人なら、

あるいは子供の教育に関わったことがある人なら、

それが経験的にわかると思います。

 

環境や遺伝的なものがどこまで影響するかは

まだはっきりとはわからないようですが、

先ずその子に素養があって、

それを開花させるような環境に恵まれた場合に、

「学校の勉強ができる」という幸運に

ありつけるのではないかと思うのです。

 

そう思いつつも、

なぜ私は子供の学歴にこだわってしまうのか?

 

それは、

子育てが成功したかどうかを確認できるものが、

学歴の他には思いつかないからです。

 

学歴が子供の能力や、

幸福度を決めるわけではないと分かっていても、

はっきりとした「成功のかたち」を求めるならば、

学歴のほかに何があるでしょうか。

 

親が手を出せるのは大学受験まで。

ここまでに何か目に見える成果がなければ、

自分の子育てが成功だったのか失敗だったのか、

わからなくなってしまいます。

だから異常にこだわってしまうのです。

 

自分の人生を生きる

 

親は子供に

どこまで影響を及ぼすことができるのか。

 あるいは影響してしまうのか。

 

ゼロとは言えず、100とも言えない。

何がどう影響するかは偶発的なもので、

結果論でしかないと思います。

 

「子どもは親次第」

これも同じく結果論でしょう。

 

子どもが人目にわかるような成果を出せば

「子供は親次第」と大声で言える。

そうでなければ黙して語らず。

 

我が子の成果を求めて頑張れば頑張るほど、

その先にあるのは地獄かもしれません。

少数の成功した親だけが甘い思いに浸ることができる、

非常に危険な賭けだと思います。

  

子どもの成果に必死になるのは、

母親自身の中に、

何らかの澱があるからかもしれません。

 

まずはその澱と向き合うことが必要なのでしょう。

 

自分の人生に納得しない限り、

子どもを肯定的にとらえることはできません。

 

自分の人生をきちんと生きる。

子育てにもし成功があるとするなら、

その先にしかないのだと思います。

 

 

我が子が大学生となり、お役御免となった「子供がらみのお付き合い」。保育園は大変だったなぁ…という思い出。

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子どもを育てていると、

いろいろと大変なことがあるものですが、

「もう二度とごめんだわ」と思うのは、

ダントツの一位で「子供の学校がらみのお付き合い」

 

こんなに大変で

神経が磨り減るものはありませんでした。

ママ友と楽しくお付き合いする人もいますが、

私は…ダメでしたねぇ。

 

最も大変だったのは「保育園」。

 

引っ越しを挟んで

2年だけ通った保育園での「〇〇委員」、

あれで嫌な目に遭いました。

 

保育園1年目の悪夢

 

クラス役員に当たってしまった 

 

その保育園は、

保護者全員が、何かの係をしないといけない園でした。

 

1年目は不運なことに、

クラスのまとめ役「クラス委員」に当たってしまい、

もう目の前が真っ暗でした。

 

当たったからには仕方がないと覚悟を決めたのですが、

この後が大変でした。

 

仲良しこよしな二人

 

委員は4人。

でもその中の2人が厄介でした。

 

仕事を全部2人でやってしまって、

私たち、他の2人には何の相談も連絡もないのです。

 

それならそれでいいのですが、

なんと最後の反省会(役員全員が集まる会)で、

「ほかの人が何もしてくれなかったから」と報告したのです(*_*)

その上、

「役員をするなら、

ちゃんと活動してくれる人がいいと思う」とまで言い放った。

 

言い返してやればよかった

 

2人に合うたびに、

「仕事があったら連絡してね」とお願いしていたにも関わらず、

1年間、一度も連絡はなし。

顔を合わせてもほぼ無視。

 

保育園の先生は、

何かあればその二人に連絡をしているらしく、

(それすらもよくわからない)

私ともう一人の人には、何の情報も伝わって来ない。

誰が責任者だったわけでもないんですけど。

 

もう一人の役員さんはお父さんで、

行事や会議も欠席が多く、

この状況もあまり気にしていない様子でした。

 

「もういいわ」とほっておく事にしたのですが、

その挙句に「何もしてくれなかった」と言われるとは。

 

言い返してやればよかったと今なら思いますが、

当時は「できれば穏便に」と黙ってました。

あ~、悔しい。

 

小学生女子のようだわ 

 

それにしても、

一体あの対応はなんだったのでしょうか?

 

挨拶をしても会釈だけだし、

ほんとにもう「???」です。

全くの初対面だったんですけど、

私、何かしました?と聞きたい気分。

 

私たちの間に絶対に入ってこないで! という態度は、

大人としてどうなんだろうか?と思うのですが、

世の中、

いろんな人がいるものです。

 

 

保育園2年目の悪夢

 

今年は楽だぞ!

 

今度こそ仕事が楽な役になるぞ!と、

「広報」に手を挙げました。

 

広報と言えば大変そうですが、

年に数回、行事ごとの新聞を作るだけで、

とっても簡単で楽なんです。

 

ところが、です。

またもや人選に難ありでして。

広報係の人数は2人。

そのもう一人が大変な人でした。

 

夏祭り新聞を作る

 

一度目の仕事は園の夏祭り。

夏祭りがありますよ~というお知らせ新聞と、

終わった後の報告新聞を作ります。

 

夏祭りの前に先生との打ち合わせがありまして、

「今年は園の都合で、新聞に使う挿絵の募集はしません。」

と連絡がありました。

 

それまでは毎年、

保護者から挿し絵を募集して載せていたのですが、

今年からは園が用意した挿し絵を使うようになったのです。

 

余計なことだったなぁ 

 

今から思えば余計なことをしたものだと思いますが、

私はその頃、

仕事の都合で家にいる時間が多かったんです。

 

そこでもう一人の役員さんに、

「今時間があるから、

良かったら新聞の仕上げは私がしましょうか」

と声をかけたのです。

 

保護者のアンケートと挿絵の図案を配置するなど、

新聞の下書きを作って園に渡すまでが仕事です。

手間と時間がかかるので、

時間のある私がしたらいいかなと思ったのです。

 

「そうしてくれたら助かるわ」との返答だったので、

夏祭りに関しては、

私がほぼすべての仕事をすることになりました。

 

いいがかりなんじゃ… 

 

ところが数日後、

「私が描いた挿し絵をロッカーに入れておいたから」

とメールが入りました。

 

すでに保育園から帰宅していた私は、

もう一度保育園に戻って息子のロッカーを確認しましたが、

何もありません。

先生は用事で席を外していて連絡が取れない。

 

「何も入ってないけど、挿絵ってなに?」

と返信を入れると、

「夏祭りの新聞に使う挿し絵でしょ! 

○○君(息子)のロッカーに入れておいたけど!」

とお怒りのご様子(メールですけどね)。

 

ひょっとして息子の着替えの中に紛れているのかと思い、

家に帰って確認するも、何も出てこない。

 

「もう時間も遅いので、明日園に確認しますね。

でも今年は挿し絵は募集しないって言ってたと思うけど」 

 

そうメールを入れて夕食の買い物に出かけました。

 

ところが帰ってきたら、

留守番電話に怒号が録音されていたのです(*_*;

 

大人の女性が、

しかも子供の関係で付き合っている相手に対して、

こんなに怒声を浴びせられるんだと、

あきれるほどの剣幕でした。

 

「あれは私と子供が一緒に書いた挿し絵なのよ!

それをなくしてしまうってどういう事?

挿絵は今までずっと毎年募集してたの!

なぜ今年だけないのよ?

いい加減なこと言わないで!」

 

はぁ~、もうイヤ。

先生との打ち合わせの時に聞いたでしょう?

今年は園の都合で募集しませんって。

あの時、メモも取ってなかったくらいだから、

きっと何も聞いてなかったんでしょうね。

 

すぐに保育園に連絡すると、

ロッカーから落ちていたので、

保育園で預かってくれていたらしいのです。

 

電話では言い合いになってはいけないので、

メールにしました。

 

「これこれという訳で、挿し絵は見つかりました。

今度の新聞に使わせてもらいますね。」

 

返信は、もちろんありません。

 

その後、園に訳を話して、

今回はこの挿絵を使いますということで話を付けました。

 

原因は何だったの? 

 

びっくりしたのはその後です。

 

その人、

まるで何事もなかったように話しかけてくるんです(*_*)

 

挨拶だけはします。

でももうそれ以上話をする気にはなれないので、

じゃあね、とその場を去りました。

 

あの怒声は彼女にとって、

普通のことだったのでしょうか?

 

ひょっとして、

私が仕事を全部取ってしまったのが

気に入らなかったのかもしれません。

 

広報は2年目だと言ってたし、

今年初めての私が、

しかも入園2年目の新人がなぜ?って。

その人はお子さんが0歳から通っているので、

もう6年目だし。

 

本当はどうだったのか

今となってはわかりません。

 

世の中いろんな人がいますね。

こんなことが重なると、

こちらに原因があるのかと不安になります。

 

このことがあってから半年ほど、

思い出しては腹が立ち、不安になり、

園とは関係のない友達に愚痴を言ってやり過ごしましたが、

ちょっと暗い気分で過ごしました。

 

そんなこんなも、もうないんだと思うと、

晴れ晴れとした気持ちになります。

 

やったー!

終わったぞーーー! 

 

 

 

 

<難関・私立中高一貫校>は誰のためのものなのか? 向く子、向かない子は「自己管理能力」がカギとなる。

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 息子は中学受験をしました。

 

それは私が

大学生の頃から決めていたことです。

将来自分に子供が生まれたら、

絶対に私立の中学に入れようと。

 

なぜそう思ったかという部分については

また後日にするとします。

 

大学受験が終了し、

我が子の受験競争が終わった今、

本当に中学受験をしてよかったのか、

私立中高一貫校とは何だったのか、

もう一度冷静になって振り返ってみたいと思います。

 

はじめに

 

今回、話題とするのは

「難関」と言われる中高一貫校に絞ります。

 

偏差値は地方によって違いますが、

R4偏差値で言いますと、

おおよそ60以上となるでしょうか。

 

ただし医学部志望だけは別とします

昨今の医学部受験は少々特殊。

今回の内容とはまた別な話となります。

 

高偏差値の意味するところ

 

私立中学を目指す目的は様々だと思いますが、

大学受験に有利だろうということが目的なら、

中学受験は慎重に考えた方が良いと思います。

 

特に「難関校」と言われる学校は要注意です。

 

ここに進学して上手くいくのは、

かなり勉強ができるお子さんだけだと思います。

 

「かなり勉強ができる」とは一言で言うと、

自主的に勉強ができるということです。

 

誰に言われなくても予習・復習ができる。

しかも勉強の仕方を知っている

 

これは非常に重要です。

 

自主的に、効率よく、

毎日決まった時間勉強を続けることができる。

これができないと、

たちまち下位グループに陥ってしまう可能性があります。

 

「幼い」とは

 

難関校がなぜ偏差値で入学者を切るのか。

 

それは、

ある程度のことは自分でできるだろうとの

期待値なのです。

授業の進度について行けますというだけではなく、

それ以上のことを期待しての、

あの高い偏差値なのです。

 

中学受験に関する著書を読んでいると、

必ず「幼い」という文字を目にすると思います。

「幼い子は中学受験に向かない」とか、

そんな風に表現されているのではないでしょうか。

 

「幼い」とはどういうことなのか。

 

出題の深意が理解できない、

そういった意味での「幼さ」もありますが、 

私は先ほどから書いている

「自主的に勉強ができない」とイコールだと思います。

「自己管理ができない」とも同じです。

 

それは今だからできないのか、

この先もできないのか、

それとも

成長と共にできるようになるのかは未知数です。

誰にもわかりません。

 

それだけに、

すでに自己管理ができている集団の中に

我が子を入れてしまっていいのかどうか、

慎重に考える必要があるのです。

 

自己管理ができる2つのタイプ

 

自己管理ができる人にもタイプがあり、

大まかに分けると次の2パターンではないでしょうか。

 

➀短期集中型の人

②淡々と勉強する人

 

短期集中型の人

 

例えば、

中学生の間は部活動に熱中し、

高校からは勉強に熱中するというタイプの人です。

スポーツ部ではよく聞く話です。

 

頭の切り替えが早いと言いますか、

「しなければ」と思えばさっと切り替え、

次の事に集中できる。

感情を引きずらないんでしょうね。

 

高校2年まで遊んでいても、

受験に集中したら東大に行けた、などと言うのも、

こういった集中型の人かもしれません。

 

淡々と勉強する人

 

私にはもっとも理解しがたいタイプの人達です。

 

このタイプの人は、

とにかく毎日必ず勉強する人です。

やりたいことがあろうとなかろうと、

勉強だけは毎日する。

 

例えば、

野球に熱中していて毎日練習を頑張っている。

へとへとになるほど練習した後でも、

家に帰ったら必ず勉強する。

こういう人は

高3の夏まで試合に出てたりします。

 

親としては、

こんなに羨ましいことはありません。

「<勉強しろ>と言われた事がない」、

なんていうのも、こういうタイプの人でしょうね。

 

京大からプロ野球入りし、

引退後は三井物産に入社した田中英祐さんが

まさしくこういう人でしょう。

どんなに疲れていても、

勉強だけは毎日したそうです。 

ただ、あのずば抜けた優秀さは

それだけではないと思いますが…。

 

さてこの2パターンの人々。

この人たちは

「難関」と言われる学校に向く人達です。

 

特に「淡々と勉強する人」なら、

どこに行っても大丈夫。

学校はほぼ関係ないでしょう。

どの道を辿っても、

満足のいく結果を残してくれると思います。 

 

自己管理のできない人

 

宿題はするが”やりっぱなし”でほおっている。

自分の苦手箇所を補強しようという気がないか、

もしくはその方法がわからない。

 

時間で打ち切ることが苦手で、

好きなことをズルズルとし続けてしまう。

 

受験時期になっても

自分に合った勉強方法がわからないままで、

なんとなくおざなりな勉強を続けてしまう。 

 

こうした、

誰かに厳しく管理されないと上手くいかない人たち

我が子にも、こういう要素があります。

 

この手の子を動かすには、

モチベーションが必要です。

 

やる気の種はなんでもいいのです。

将来の夢でもいい、

女の子にモテたいでもいい。

 

何か自分の中に

強烈なモチベーションが発生したら

勉強をし始める。

 

ところが、

このモチベーションというものは偶然に沸き起こるもので、

人為的に起こせないのが厄介なところなのです。

 

「やる気スイッチ」は

本人が押すしかないのです。

 

もし、やる気がOFFのまま

高校の3年間が過ぎてしまったら最悪です。

 

溜まる親の心労、

何とかしようとお金だけがやたらと出て行き、

後には虚しさだけが残るという、

悪夢としか言いようのない事態になります。

(我が家がまさにこれです。)

 

はっきり言って、

こういう子の場合、

勉強も受験も「賭け」になります。

 

難関中学に進学してみるか、

それとも面倒見の良い中堅ランクの私立中学に行くか。

はたまた地元の公立中学に行くか。

 

いずれにしても

結果がどうなるかは予測不能です。

 

環境は大事です。

でも環境を整えたから万全だ、とはならないのがこのタイプ。

非常に厄介なんです。

 

このような状態の子が、

難関中学に合格するのか?と

疑問に思うかも知れません。

ところが、

小学生の時は、

たまたまモチベーションが上がって

合格してしまうということがあります。 

 

小学生はまだまだ素直で親の言う通りですから、

少しでも本人にやる気があれば、

後は何とかなってしまうのです。

 

難関中学は誰のためのものなのか 

 

偏差値が高くなればなるほど、

自己管理ができる子が多くなります。

 

学校はその中でも、

上位の生徒を中心に考えるので、

きめ細かな対応や、

面倒見の良さと言ったものは

まず無いと思っておいた方が賢明です。

 

彼らは十分に自己管理ができます。

そういう子にとっては、

きめ細かな面倒見の良さは、

かえって邪魔になるのです。

 

難関・中高一貫校という所は、

そういう人たちのためにある学校なのです。

 

お子さんは自己管理ができますか?

毎日、自主的に勉強ができていますか?

  

これができないにも関わらず進学してしまうと、

入学後の6年間、

親がつきっきりで勉強の面倒を見ることになります。

 

塾に関しても大変です。

中高一貫校向けの塾は数が少ないですから、

家庭教師か個別指導になります。

精神的にも金銭面でも、

中学入試の状態が延々と続くことになるのです。

 

しかもそこまでしても、

結果がどうなるかはわかりません。

 

あなたはこの状況に耐えられますか?

 

ではどうしたらいいのか?

 

中学受験を始めると、

つい親の方に熱が入ってしまい、

もっと上に、

もっと高偏差値の学校へと気持ちが動いていきます。 

 

一種の競争ですから仕方がないのですが、

もしお子さんが「自己管理ができない子」だった場合、

少し立ち止まって考えてほしいのです。

 

中学受験の目的は何ですか?

もしそれが

「大学受験に有利だから」というだけなら、

難関中学に拘る必要はありません。

 

もっと言うなら、

私立中学に拘る必要もないかもしれません。 

周りの優秀さに嫌気がさすタイプの子なら尚更です。

 

大学受験を迎える前に

受験で無理をさせてはいけません。

 

「受験」だけで言うならば、

一番大事なのは大学受験です。

ここに至るまでに無理は禁物です。

子どものエネルギーを

削いでしまってはダメです。

 

ただでさえ動かない子です。

中学受験、大学受験と、

そう何度も全速力で走れるわけがありません。

しかも6年間と言う間が空きます。

その間に、

完全に止まりきってしまう恐れもあるのです。

 

学校の勉強や受験のシステムに向かない子には、

走る期間をできるだけ短くしてあげることです。 

 

小学校と中学校の前半までは決して無理をさせず、

高校入試をスタートに、その後の3年間だけ全力で走る

 

高校受験でも無理をしてはいけません。

進学先は、

面倒見の良い、

中堅クラスの私立高校がいいと思います。

 

地域のトップ校や

難関私立高校を目指す必要はないのです。 

そこもやはり、

難関私立中高一貫校と同じ環境なのですから。

 

結局はギャンブル 

 

ただ何度も言いますが、

このタイプの子は予測が不可能です。

 

「これで大丈夫だ」と決して思わないこと。

満足のいく結果にならないかもしれないと、

常に覚悟をしておくことが必要です

 

これはギャンブルなんです。

 

勝つか負けるかは運しだい。

「こうしたらこうなる」方式は適応できない子なんです。

 

「宝くじ、当たればいいなぁ」

それくらいの気持ちでいたほうが、

親の精神衛生には良いのだと思います。

 

宝くじは買わなければ当たりません。

一度は買ってみましょう。

後は野となれ山となれ。

気楽な気持ちで、見守るしかありません。 

 

自分ができなかったことを人に勧めるのは

気が引けますが、

さまざまな後悔の残る今、

中学受験で

あんなに無理をさせることはなかったと、

心底そう思うのです。

 

これから受験をされるご家庭が、

競争に流されることなく、

冷静な判断をされることを願っています。

 

 

中学受験の算数ができても大学受験の数学ができるとは限らない。「高校数学は面倒だ」と息子はいうのですが…。

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これより以降は、

「息子が言うには」という

但し書きが付きます。

 

数学に詳しい方が読むと、

「何を言っているんだろうか?

 ただの勉強不足ではないのか?」

 「数学とはそんなもんじゃない!」

お叱りをいただくかもしれません。

ですので数学の話はいつも恐々です。

 

それでも私は不思議なのです。

 

中学受験の、

あの年齢不相応に難しい算数を解いていた子が、

なぜ高校数学がああまでできなかったのか。

中学受験の算数と

大学受験の数学は何が違うのか?

 

高校数学の才能がない?

 

「なぜ?」と尋ねて息子が答えたのが、

以下の会話となります。

 

息子

「中学受験の算数はある程度センスで解けるけど、

大学受験の数学は公式を覚えることが重要なんだ。

答えは出ていてもその解法が違ったり、

決まったように記述しないと不正解になるんだよ。」

 

「それは練習不足という事なんじゃないの?」

 

息子

「練習不足かもしれない。

でも自分はそんな練習はしたくなかったし、

興味も持てなかった。

何故そうなるのかわからないのに、

言われたままに覚えるのがどうしても嫌なんだ。」

 

「でもその理由を聞いても

理解できないでしょう?」

 

息子

「そうだね、

一度聞いたことがあるけど、

難しくてわからなかった。」

 

「それでも覚えるのは嫌なの?」

 

息子

「嫌だ」

 

「・・・。」

 

中学受験の算数はセンスで解ける?

 

中学受験は<センス>が必要だと言われますが、

<センス>って・・・なに?

 

「”こうしたら解けるんじゃないかなぁ…、

と思って手を動かしていたら解けた”

そんな感じで解くのが

<センス>ってことなんじゃないのかな?」

 

中学受験の算数はなんとなく解けたという。

そして出た答えを計算式と一緒に書けば正解となる。

 

もちろん受験塾で叩き込まれているので、

「一から考えて」と言うことではありません。

習った方法を組み合わせたり、応用したりだと思います。

 

そして中学受験算数でも途中の式は大事です。

部分点ももらえます。

どうやって解いたかが重要なことは

大学受験と違いはありません。

 

しかし中学受験の算数では、

大学受験の数学ほどの記述は求められません。

問題はこの<記述力>にあるようです。

 

高校数学は面倒?

 

「算数と同じように、

”こうじゃないかなぁ…”とやってると答えは出る。

 

でもその解法を決まった文言や数式を使って、

例えば<これこれをaとする>とか、

<なになに=これこれならば>とか、

とにかく事細かく説明しないとバツになる。

でも僕は、

あれこれ細かく説明するのが面倒なんだよ。」

 

面倒? 

 

「”この数式が表しているのはココの面積です”と、

指さして言葉で言えば数秒で済むのに、

それをわざわざ文字や数字で書くのが面倒ってこと。

答えが出てるんだからもういいんじゃない?

と思ってしまうんだ。」

 

数学の試験はいつでも、

本人は自信満々でも

点数はさほどでない事が多かった。

これは多分、

点数を取るための解答を書けないことが原因だったのだろうと、

今更ながら思います。

 

前にも書きましたが、

「関数で解く問題をベクトルで解いてしまった」

と言っていたことがありました。

 

そこでもうアウトじゃないの?

 

「ベクトルで解く方法もあるけれど、

それをすると解法が大変だって塾の先生が言ってた。」

 

「それならなぜ関数で解かないんだ!」と思いますが、

練習不足により関数で解くことに気が付かない。

そこで、こうかなぁ…とやっているとベクトルで解けた。

でもその解法を覚えていない。

したがって点数もつかない。

しかも時間がかかって他の問題までいけない。

 

いつもこんな感じで

失点していたでしょうねぇ…

 

公式を無視して、

自分の好きなように時間をかけて解き、

それを口頭で説明する。

こんな風だったら、

もっと機嫌よく数学に取り組めたのかもしれません。

 

数学は嫌いではないと言っていた息子。

しかしこれでは試験に対応できません。

それにこれでは「数学」と言えないのかもしれせん。

 

数学というもの

 

①公式をたくさん覚えて(引き出しを増やす)、

②これは何を問うた問題なのかを的確に読み取り、

③それに適した道具を引き出しから取り出し、

④その取り出した道具を組み合わせ、

⑤自分がどんな風に解いたのかを、

誰が見てもわかるように書く。

 

この一連の作業が「高校で習う数学」というもの。

 

息子は筋金入りの「面倒がり屋」です。

先ず自分の引き出しを増やすためには

様々な問題を解く必要がありますよね。

それがもう面倒なんです。

 

思えば息子は「公文式」が大嫌いでした。

中学受験でも、

試験の見直しは頑としてしませんでした。

一度済んだことや同じことを、

何度も繰り返すのが苦痛なんですね。

 

証明問題と図形問題

 

うまの合わない数学ですが、

好きな分野もあるのです。

 

小学生のころから図形問題は好きですし、

中学以降は証明問題も好きでした。

どちらも、

あまり公式がないのでいいのだそうです。

 

でも残念なことに、

大学受験では「公式があまりない」ことが原因なのか、

二つともあまり出題されないそうです。

 

証明問題に関しては、

ものすごく簡単になるか

難しくなり過ぎるかのどちらかで、

そもそも入試には向かない(と聞いたと息子が言う)。

 

図形問題は、

これは私の勝手な想像なんですが、

「高校数学の勉強をきちんとしましたよ」という

証にならないからではないかな?と思います。

 

公式があまりないということは、

その問題だけ偶然解けただけかもしれなし、

勉強しようとしまいと、

出たとこ勝負になってしまう。

それでは数学ができるのかどうか、

判断がつかない。

 

この2つの分野、

学校でも塾でも

数学の先生はあまり好きではないと

おっしゃっるんだそうです。

もちろん好きでないだけで、

どんな難問でもOKなんですが。

 

数学が得意な人とそうでない人は何が違うのか、

この辺りにヒントがあるのかもしれません。 

 

面白い奴なんだけどなぁ…

 

息子が学校の数学が苦手だった原因は、

<面倒がり屋>だったこと。

 

面倒だから公式も覚えられない、

面倒だから記述力も育たない。

 

要は、

”綿密にコツコツと何かをすることが苦手な人”という事でしょう。

 

学校の勉強とか受験には向かないタイプかもしれません。

多分仕事でも、

向き不向きが強く出るタイプなのではないかと思います。

 

いつもこんな感じで、

悲観的な内容になってしまいますが、

私としては、

こういうタイプの人が嫌いではないんです。

寧ろ、人としては”面白い奴”だと思うのです。

 

でも残念ながら、世間的にはあまり評価されない。

 

特に学校(勉強面)とか会社員としては、

低い評価になってしまうように思います。

悔しいなぁっと思いますが、仕方ないのですよね。

 

息子にはぜひ、

自分が花咲くような場所を見つけてほしいと

心から願っています。