息子と受験と狂想曲

受験と教育よもやま話

中学受験の算数ができても大学受験の数学ができるとは限らない。「高校数学は面倒だ」と息子はいうのですが…。

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これより以降は、

「息子が言うには」という

但し書きが付きます。

 

数学に詳しい方が読むと、

「何を言っているんだろうか?

 ただの勉強不足ではないのか?」

 「数学とはそんなもんじゃない!」

お叱りをいただくかもしれません。

ですので数学の話はいつも恐々です。

 

それでも私は不思議なのです。

 

中学受験の、

あの年齢不相応に難しい算数を解いていた子が、

なぜ高校数学がああまでできなかったのか。

中学受験の算数と

大学受験の数学は何が違うのか?

 

高校数学の才能がない?

 

「なぜ?」と尋ねて息子が答えたのが、

以下の会話となります。

 

息子

「中学受験の算数はある程度センスで解けるけど、

大学受験の数学は公式を覚えることが重要なんだ。

答えは出ていてもその解法が違ったり、

決まったように記述しないと不正解になるんだよ。」

 

「それは練習不足という事なんじゃないの?」

 

息子

「練習不足かもしれない。

でも自分はそんな練習はしたくなかったし、

興味も持てなかった。

何故そうなるのかわからないのに、

言われたままに覚えるのがどうしても嫌なんだ。」

 

「でもその理由を聞いても

理解できないでしょう?」

 

息子

「そうだね、

一度聞いたことがあるけど、

難しくてわからなかった。」

 

「それでも覚えるのは嫌なの?」

 

息子

「嫌だ」

 

「・・・。」

 

中学受験の算数はセンスで解ける?

 

中学受験は<センス>が必要だと言われますが、

<センス>って・・・なに?

 

「”こうしたら解けるんじゃないかなぁ…、

と思って手を動かしていたら解けた”

そんな感じで解くのが

<センス>ってことなんじゃないのかな?」

 

中学受験の算数はなんとなく解けたという。

そして出た答えを計算式と一緒に書けば正解となる。

 

もちろん受験塾で叩き込まれているので、

「一から考えて」と言うことではありません。

習った方法を組み合わせたり、応用したりだと思います。

 

そして中学受験算数でも途中の式は大事です。

部分点ももらえます。

どうやって解いたかが重要なことは

大学受験と違いはありません。

 

しかし中学受験の算数では、

大学受験の数学ほどの記述は求められません。

問題はこの<記述力>にあるようです。

 

高校数学は面倒?

 

「算数と同じように、

”こうじゃないかなぁ…”とやってると答えは出る。

 

でもその解法を決まった文言や数式を使って、

例えば<これこれをaとする>とか、

<なになに=これこれならば>とか、

とにかく事細かく説明しないとバツになる。

でも僕は、

あれこれ細かく説明するのが面倒なんだよ。」

 

面倒? 

 

「”この数式が表しているのはココの面積です”と、

指さして言葉で言えば数秒で済むのに、

それをわざわざ文字や数字で書くのが面倒ってこと。

答えが出てるんだからもういいんじゃない?

と思ってしまうんだ。」

 

数学の試験はいつでも、

本人は自信満々でも

点数はさほどでない事が多かった。

これは多分、

点数を取るための解答を書けないことが原因だったのだろうと、

今更ながら思います。

 

前にも書きましたが、

「関数で解く問題をベクトルで解いてしまった」

と言っていたことがありました。

 

そこでもうアウトじゃないの?

 

「ベクトルで解く方法もあるけれど、

それをすると解法が大変だって塾の先生が言ってた。」

 

「それならなぜ関数で解かないんだ!」と思いますが、

練習不足により関数で解くことに気が付かない。

そこで、こうかなぁ…とやっているとベクトルで解けた。

でもその解法を覚えていない。

したがって点数もつかない。

しかも時間がかかって他の問題までいけない。

 

いつもこんな感じで

失点していたでしょうねぇ…

 

公式を無視して、

自分の好きなように時間をかけて解き、

それを口頭で説明する。

こんな風だったら、

もっと機嫌よく数学に取り組めたのかもしれません。

 

数学は嫌いではないと言っていた息子。

しかしこれでは試験に対応できません。

それにこれでは「数学」と言えないのかもしれせん。

 

数学というもの

 

①公式をたくさん覚えて(引き出しを増やす)、

②これは何を問うた問題なのかを的確に読み取り、

③それに適した道具を引き出しから取り出し、

④その取り出した道具を組み合わせ、

⑤自分がどんな風に解いたのかを、

誰が見てもわかるように書く。

 

この一連の作業が「高校で習う数学」というもの。

 

息子は筋金入りの「面倒がり屋」です。

先ず自分の引き出しを増やすためには

様々な問題を解く必要がありますよね。

それがもう面倒なんです。

 

思えば息子は「公文式」が大嫌いでした。

中学受験でも、

試験の見直しは頑としてしませんでした。

一度済んだことや同じことを、

何度も繰り返すのが苦痛なんですね。

 

証明問題と図形問題

 

うまの合わない数学ですが、

好きな分野もあるのです。

 

小学生のころから図形問題は好きですし、

中学以降は証明問題も好きでした。

どちらも、

あまり公式がないのでいいのだそうです。

 

でも残念なことに、

大学受験では「公式があまりない」ことが原因なのか、

二つともあまり出題されないそうです。

 

証明問題に関しては、

ものすごく簡単になるか

難しくなり過ぎるかのどちらかで、

そもそも入試には向かない(と聞いたと息子が言う)。

 

図形問題は、

これは私の勝手な想像なんですが、

「高校数学の勉強をきちんとしましたよ」という

証にならないからではないかな?と思います。

 

公式があまりないということは、

その問題だけ偶然解けただけかもしれなし、

勉強しようとしまいと、

出たとこ勝負になってしまう。

それでは数学ができるのかどうか、

判断がつかない。

 

この2つの分野、

学校でも塾でも

数学の先生はあまり好きではないと

おっしゃっるんだそうです。

もちろん好きでないだけで、

どんな難問でもOKなんですが。

 

数学が得意な人とそうでない人は何が違うのか、

この辺りにヒントがあるのかもしれません。 

 

面白い奴なんだけどなぁ…

 

息子が学校の数学が苦手だった原因は、

<面倒がり屋>だったこと。

 

面倒だから公式も覚えられない、

面倒だから記述力も育たない。

 

要は、

”綿密にコツコツと何かをすることが苦手な人”という事でしょう。

 

学校の勉強とか受験には向かないタイプかもしれません。

多分仕事でも、

向き不向きが強く出るタイプなのではないかと思います。

 

いつもこんな感じで、

悲観的な内容になってしまいますが、

私としては、

こういうタイプの人が嫌いではないんです。

寧ろ、人としては”面白い奴”だと思うのです。

 

でも残念ながら、世間的にはあまり評価されない。

 

特に学校(勉強面)とか会社員としては、

低い評価になってしまうように思います。

悔しいなぁっと思いますが、仕方ないのですよね。

 

息子にはぜひ、

自分が花咲くような場所を見つけてほしいと

心から願っています。