お子さんが受験に失敗してしまったお母様方、気持ちは落ち着かれたでしょうか?
拝啓
全国津々浦々の、
我が子が受験に失敗してしまったお母様方。
もう気持ちは落ち着かれたでしょうか?
私は未だ、晴れることはありません。
普段は普通にしていても、
ふとした拍子に辛い気持ちが頭の中に充満し、
つい涙ぐんでしまいます。
この先、楽しいとかうれしいとか、
心からそんな気持ちになる日はくるのでしょうか?
今年はコロナの影響で、学校は遠隔授業が続きましたね。
小・中・高はもう対面授業が始まっているのでしょうか。
大学はいまだに遠隔のところが多いです。
本来なら子供は学校に行き、新しい生活が始まります。
ところが春になっても子供は家におり、
6月の現在でもまだ家にいます。
この状況が、母の心の癒しの障壁となっているように感じます。
子どもが大学に機嫌よく通っている様子を見れば、
多少なりとも母の気持ちも落ち着くのではないでしょうか。
入学式があり、新しい友達に出合い、サークルの新歓で合格を祝ってもらい…。
そうした一連の儀式があって初めて、
明日に向かおうとする気持ちも生まれて来るのではないでしょうか。
それが一切なく、
ただPC相手に授業だけ受けている。
仕方のないこととはいえ、どうしても虚しさばかりが募ります。
そもそもなぜ、
我が子の受験の失敗がこんなにも辛いのでしょうか。
以前あるブログで、こんなものを読んだことがあります。
お子さんが大学受験に失敗したお母さん。
お家の床一面に、
小さい頃に使っていた知育玩具や絵本、
お子さんの学習に使った様々なものをバッと並べて、
「私の一体何が悪かったのか」と号泣された。
…このお母さんの気持ち、痛いほどわかります。
子どもがどうこうというよりも、
母親である自分の不甲斐なさが辛いんですよね。
私の何が悪かったのか。
考えればきりがないくらい、
<たられば>の後悔が襲ってきます。
なぜああしなかったのか、こうしなかったのか。
でも一番最後に行きつくのは、
やはり母である<自分>なんです。
こだわりが強くて頑固で、
熱中型で飽き性で、
したいことを我慢するのが苦手で、
その為に今しなくてはならない事が後回しになって、
とことん困った状況になってからでないと重い腰を上げないという、
そんなADHD気質などうしようもない性格である私。
どちらかと言うと私に似ている我が子。
このどうしようもない遺伝子を受け継いでしまったのでしょうか。
夫に似ればよかったのに、
なぜ私に似てしまったのかと思ってしまう。
遺伝要因か環境か、
どちらも影響すると言われていますが、
まず遺伝要因があってこその環境ではないのかと思うのです。
余程劣悪な環境でない限り、
子どもは<自分の持って生まれたもの>が示す方向へ
伸びていってしまうものではないでしょうか。
無理にあっちへこっちへと、
親の気にいるように曲げようとしても、なかなか上手くいかない。
子どものもって生まれた特質が<学校の勉強>に向くなら幸運です。
本当に幸運だと思います。
でも違うなら…諦めるしかありません。
もうそろそろ諦めないといけないのでしょう。
子どもは私の思うようにはならないということ、
自分は上手くできなかったということを。
多分この先いくら考えても、これでよかったんだとは思えないでしょう。
だったら諦めるしかありません。
仕方なかったと諦める。
そうして、
うっすらとした悲しみと一緒に
毎日を暮らしていくしかないのでしょう。
全国の<我が子が受験に失敗した>お母さま、
叶う事ならお会いしたいです。
会って一緒に泣きたいです。
泣いて、愚痴って、思いっきり毒を吐き出したい。
現実の世界ではなかなかそれができません。
お互いの熱の入れようも違うし、成功した人も多いですから。
暫くは誰にも会わず、
心が鎮まるまで、一人で静かに過ごそうと思います。
皆さまもどうぞ心穏やかに過ごされますよう、
心からお祈り申し上げます。
敬具