息子と受験と狂想曲

受験と教育よもやま話

気持ちを整理するために、自分のことを少しだけ語ってみようと思います ①小学校から高校卒業まで

 

f:id:kaze-hikaru:20200619213359j:plain

 

いつも子供の事をあれこれ言っておりますが、

母である私自身、

「そんなことが言えるのか?」という、

なんともなまくらな学生時代を送っています。

 

今日は少し話を変えまして(反省も込めまして)、

自分の事を語ってみたいと思います。

 

自分語りなんてこっ恥ずかしいのですが、

お付き合いいただければ幸いです。

 

小学校時代

子どもの頃の私は、引っ込み思案で静かな子供でした。

仲の良い友達もいましたが、学校はあまり好きではありませんでした。

大勢の中で過ごすよりも、ひとりで自由に行動していたい、

ひとりで図鑑を見たり音楽を聞いたり、

謎解き本(IQテストのような問題が載っていた)を解いたり。

  

気になる事やしたいことは気の済むまでしていたい。

なのにいつも時間割によって中断させられる。

それが何よりも嫌だったのを覚えています。

 

…こう書くと何やら秀才のようにも読めてしまいますが、

全くそういうのではありませんので、念のため。

  

前の授業のことをいつまでも考えていたり、

気になることをぼんやり空想していたり、

きっと、次々と頭を切り替えるのが下手なんでしょうね。

多分傍目には、

私はいつも、ぼ~っとした子として映っていたと思います。
 

おまけに<まんべんなく>というのができない。

関心のある事は下へ下へとどこまでも掘り下げ、

横へ横へとどこまでも広げていくけれど、

興味のない事は全くしない。

 

学校とか学校の勉強には向かない性格だなと、つくづく思います。

 

それでも、小学校時代は学校の勉強が好きでした。

新しいことを教えてもらうのはとても楽しく、

国語や社会などの教科書はもらったその日に読んでしまうほど、

好奇心旺盛な少女でした。

特に算数が大好きで、

文章題や図形問題をあれこれ考えるのが楽しかった。

 

小学校の高学年になると、

当時の公立小学校の、非常にゆっくりとした歩みに退屈し、

だんだんと学校の授業に興味が持てなくなりました。

 

母親が塾嫌いだったため、

高校3年生で受けた夏期講習まで、塾には一度も通ったことがありません。

そのうえ自宅が郊外だったので、

家の近くには公文式か補習塾しかなく、

普通の学習塾に通うには、バスに乗って3,40分ほどかかります。

中学受験用の塾となるともっとかかります。

 

こうした地理的な不利も重なって、

学校以外で学習する機会を持たないまま、

小中高時代を過ごすことになりました。

 

本当は地元の中学ではなく、国立の中学に行きたかったのです。

同級生の何人かは都心の私立中学に進学しましたが、

それがとても羨ましかった。

 

なぜ親に国立を受けたいと言わなかったのかなぁ…

書店で国立中学の問題集を見たりしていたんですが、

なぜ言わなかったのかは、記憶にないのでわかりません。

 

ただ私の母親は、塾も嫌いでしたが習い事も嫌いでした。

幼稚園の頃はピアノと英語を習っていたのですが、

何やらそれで懲りたようです。

小さい子どもの習い事は、親も大変ですからね。

 

「何かしたい」と訴えるのをためらうような、

どこかそんな雰囲気があったのかもしれません。

結局親には何も言わないまま、

地元の中学に進学することになりました。

 

魔の中学校時代

1970年代後半から80年代は、

都市部の郊外にある公立中学では、

校内暴力が吹き荒れた時代でした。

 

進学した地元の中学も同様で、

常にどこかの窓ガラスが割れている、

たばこの吸い殻がそこここに落ちている、

そんな荒れた学校でした。

 

学校全体が常にざわついている落ち着かない環境で、

私は全く好きにはなれませんでした。

 

学校では、

テレビ番組、芸能界、スポーツ、恋愛以外の話はできない雰囲気で、

友達の輪の中に留まるために、ドラマや歌番組を一生懸命見ていました。

 

今から思えば無駄な労力だと思いますが、

中学生の女の子にとっては、

人の輪の中にいることが、世界で一番大事なことなんですよね。

 

学校では始終気を張っているので、

家に帰ってからは自分のしたい事だけをしたい。

いつしかそんな勝手な理由をつけて、勉強から遠ざかる様になりました。

絵を描く・ピアノを弾く・本を読む・何か作る

ひとりでできるこの4つの事を繰り返す日々が続き、

中学2年から高校3年の卒業まで、

学校の勉強は延々とサボり続けることになります。

 

地元の公立高校へ 

高校は合格できるならどこでもいいわと、

地元の公立高校に進学。

 

トップクラスの生徒は地方国公立大学かMARCHレベルに進学という、

学力的には微妙な高校でしたが(私に言えたことではありませんが)、

生徒は皆穏やかで、落ち着いた雰囲気の良い学校でした。

 

この高校でやっと気の合う友人に出合う事ができ、

学校もまぁまぁ楽しい所だなぁと、初めて思う事ができました。

 

しかし勉強の方は大変です。

なにせ中学2年からサボっているので、数学や英語が全く分かりません。

どこまで戻ればいいのか途方に暮れるという有様。

 

そんな窮状であるにもかかわらず、

相変わらず自分のしたいことばかりを優先します。

一度付いてしまった悪い癖は、なかなか治るものではありません。

 

学校の勉強はしたくない、でも留年もしたくない。

 

仕方がないので定期試験の度に、

出題範囲の問題と解答を

赤点にならない程度に暗記するという荒業でやり過ごしていました。

 

一夜漬けなので内容が身に付くことはありません。

愚かな事ですが、 

毎日コツコツ勉強するという姿勢は、

高校3年の間、ついに一度もありませんでした。

 

数学は中学レベルからわからないまま、

英語は実にあやふやな状態で高校を卒業することになります。

好きな日本史でさえ、ピンポイントではやけに詳しいが、

全体としては怪しい状態、

唯一できるのは国語だけという、なんとも情けない生徒です。

 

中高時代にしていたこと

一体、勉強もせずに毎日何をしていたかと言いますと、

中学生の頃と同じで、

絵を描く・ピアノを弾く・本を読む・何か作るの4択です。

 

本は新書が好きでした。

歴史、心理学系、社会学系など、

人文分野の新書ばかり読んでいました。

 

絵は…中学時代は暗い絵ばかり描いてましたねぇ。

高校では模写ばかりしていました。

マンガから西洋画までなんでも。

特にフェルメールが好きで、本物を見てみたいなぁと夢見ていました。

 

何か作るとは何かと言いますと、

中学時代はプラモデルが主で、

高校時代はフロアランプとお菓子。

 

プラモデル…男の子のような趣味ですよね。

組み立てて、色を塗って、

ジオラマまではいかなかったけど、

当時流行っていたガンプラは、

目の部分に電球を仕込んで悦に浸っていました。

 

完全に<オタク少女>です。

中学校では浮きますよね…。

 

フロアランプは、電球やら配線やらを買ってきて繋げていました。

シェードのデザインや素材も、いろいろ試していました。

 

大学受験

こうして高校3年間が過ぎてゆき、いよいよ大学受験となるのですが、

高校3年生で受けた予備校の夏期講習は、

何も解けず、何もわからず、ただ座っているだけという状態でした。

本当にお金がもったいないです。

 

その結果、大学受験は全落ちという憂き目にあいます。

当たり前ですね。

合格するわけがありません。

 

仕方がないので浪人生となり、

1年後にMARCHレベルの私大・文学部に進学することになります。

 

合格できたからいいようなものの、

予備校時代はほんとうに地獄でした。

 

泣きながら英単語を覚え(ほんとに涙目になってました)、

1ミリも興味のない漢字や文法を覚える日々は<辛い>の一言。

 

しかしこれをやらないと、

次の日、予備校の講師に公衆の面前で叱られる。

ものすごく恥ずかしいので、泣きながらやっていました。

あの時の先生には、本当に感謝しかありません。

 

本日は長くなりましたので、

次回はその辺りから始めたいと思います。 

申し訳ありません…次回に続いてしまいます…。