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受験と教育よもやま話

「友達いないと寂しい理由が分からない」というはてなダイアリーの記事に共感する私。でもなぁ、友達問題はいつもなんだかモヤモヤするよね。

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<読了所要時間は5分です>

 

昨日はてブロにログインするとこんな記事が。

「友達いないと寂しい理由が分からない」

 

一番上に上がっていたので読まれた方も多いのではないでしょうか。 

USERが352、すごいですね。 anond.hatelabo.jp

 

 はてなダイアリーでのつぶやき

 

世間的には寂しい人なんだろうけど寂しいと思った事がないし寂しいと言っている人の事も良く分からない。ネットがあれば寂しくないじゃんとわりと本気で思っている。(本文から引用) 

 

私は既婚者で子供もいるので、34歳独身であるこの方とは状況が違う。

なので「私も同じことを思う」は厳密にいえば「同じ」ではない。

でも自分の過去を振り返り、

子供の頃から現在までこの事に関してどう思ってきたかと言うと、「私も同じ」になる。

 

もともと友達と一緒に何かするよりも、一人で自分のしたいことをするのが好きだった。

だからどうしても「いつもひとり」と言う状況になってしまう。

友達とは、自分の活動結果を発表する場であり、意見交換の場となる。

それならこの方が言うように「ネットで十分」とも言える。

 

わざわざ集まっての井戸端会議は大の苦手で、

何かの目的がないと人と時間を共に過ごすのは少々苦痛です。

 逆に職場での世間話やたわいない話をするのは楽しい。

仕事をする合間にちょこっと人と話す、

そのくらいが私にはちょうど良いように思う。

今は完全な専業主婦なので、あまりいい感じではない。

 

人と一緒に活動するのが好きか、それとも自分一人で没頭するのが好きか。

これによって友達の人数も違ってくるんだろうと思う。

 

世間の評価

 

自分はこれでいいと思っていても、

友達問題は何だか気持ちがモヤモヤするから嫌だ。

 なくてもいいのならそれでいいじゃないか、と言われそうだけど、

周りから「友達のいない人」と思われているんだろうなと思うと嫌なんだなぁ。

 

世間の価値観が「友達が多い人ほど上等」となっている以上、

いくら自分はそれで良くても、なんとなく居心地悪い。

しかも「友達あんまりいらないし」と言うと、

負け犬の遠吠えのように聞こえるんではないかと思ってしまう。

 

自分の心の問題なので、非常に厄介です。

 

それぞれの年代での友達 

 

こんな私でも若い頃は友達がいた。

 

今現在「友達はいますか?」と訊かれれば、

「1年に1度会う友達ならいます」と答えます。

すでに10年近く合ってない友達もいるが、それでも友達だ。

 

彼女たちはすべて私が世に出る前、学生だった頃の友達です。

自分がまだ何も持っていなくて、

大したこともできなかった頃に知り合い、仲良くなった人。

 

話してはいけない事など何もなく、

自分の事、親の事、恋愛や将来の夢など、

時間や場所を気にすることもなく、なんでもいつまでも話すことができた。

 あの頃は「自分のしたいことをする」よりも、

自分の中にあるモヤモヤを吐き出したかったのかなぁ。

10代の終わりから20代の初め頃にはありがちな事ですね。

そういう思い出があるから10年合ってなくても「友達」と思える。

飾る前の自分を知ってくれていると言う信頼感がある。

 

社会人になってから知り合った友達もいるけれど、

 仕事を介して知り合っただけに、

どうしても「仕事」を軸にした評価が入ってしまう。

年齢的なこともあるのかもしれないけれど、

「素の自分」としては対峙できなかった。

 

結婚したり子供が生まれた後は、

たとえ人と知り合っても、その関係を深めていくだけの時間と余裕がない。

それになにより「話せない事」がぐんと増えた。

 

別に何かヤバイ過去があるとかではないんですが、

つまらないことを言って夫や子供に迷惑が及んではいけないと思うと、

結局大したことは話せなくなる。

世間話の域を出ない間柄を、私は「友達」とは思えない。

 

環境からの影響・人間不信 

 

大人になってからでも友達を作っている人を見ると、スゴイなぁと思う。

きっと幼い頃から、良い人間関係を見てきたんだろうなぁ。

私はどこか人間不信なところがあって、

多分それは母親の影響が大きいと思っています。

愚痴っぽい話で申し訳ないのですが。

 

80に近い私の母は、若い頃はどんな場所でも必ずグループに入る人で、

常にそのグループのメンバーと行動を共にする人でした。

関係が一番濃かったのは、私たち子供が小学生から高校生の頃。

いわゆる「ママ友」ですね。

 

いつも5,6人のメンバーと一緒だったので仲がいいのかと思いきや、

家の中では他のメンバーの悪口ばかり。

「だから私はこれでいいのよ」と自分を守るために言っているんだろうけど、

聞かされる方としてはただただ恐ろしい。

「陰でこんなこと言われるんだぁ・・・」と思うと人間関係が怖くなる。

 

陰口はメンバー本人に対してだけではなくて、その子供や夫にまで及ぶ。

関係ないじゃん、と思いますが、母としては止まらなくなるんでしょうね。

 

この長きに渡る陰口大会の影響で、

陰では何を言われているかわからない、

気安く何でも話してはいけないという戒律が

私の中ででき上がったのだと思います。

 

これから先の友達 

 

友達がいようといまいとどっちでもいい事。

他人に評価されたりとやかく言われたりする筋合いのものではない。

困った時は、友達であろうとなかろうと助け合えばいい。

「どこのグループにも入ってないのになぜ助けないといけないの?」

この考えもどうかと思いますが、

こういう言葉が出てくるというには、

グループのメンバーでいることも大変なんだろうな。

 

友達はもう必要ないと思っているのか、

ほしい気持ちはあるけれど、

面倒なことになるのは嫌だから避けているのか。

そもそもどの程度の人間関係を「友達」と言うのか。

 

これから先子供が完全に独立して、

夫が先に亡くなったりして(夫よ、ごめん)、

再び私が個人として存在するようになったら、

その時にはまた「友達」ができるかもしれない。

孤独死予防の安否確認友達かもしれないけどね。