息子と受験と狂想曲

受験と教育よもやま話

中学受験 <我が家の体験談・その2>「<優秀な講師がいる塾=良い塾>ではない」の巻

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前回に引き続き今回も少々(というか、かなり)愚痴っぽい話になります。

「毒を吐き出したい!」ということで、どうぞご了承くださいませ。 

 前回のお話はこちらです。

everyday-diary.hatenablog.com

 

事態はますます悪い方向へ

 

転塾をためらった理由

校責との意見の相違から不信感が募り、

4年生の後半頃から「転塾した方が良いのでは」と迷い始めました。

でもその後1年間も迷ったのには理由がありました。

 

息子は当時、新しい場所に慣れるのに大変時間がかかる子で、

最低半年は必要でした。

その半年間は、教室でお弁当も食べられないほど緊張するのです。

転塾したいと思いつつも躊躇していたのはこのためです。

せっかく慣れた校舎を変えるのはどうなのか?

 

 でも今思えば、そこまで心配しなくても大丈夫でした。

子供は親が思っているほどひ弱ではなかったことがこの後わかります。

 

また塾の校舎が閉校に!

悩んでいるうちに日が過ぎ、息子は5年生に。

そしてその直前の1月、

1年後に校舎閉校となる旨の説明がありました。

校責は講師を辞め、本部内勤に移るかもしれないという事でした。 

 

「また閉校ですか!」

行くとこ行くとこ閉校になるとはどうしたことか?

 

閉校に伴う選択肢は3つ。

5年生からは基幹校に移るか、

このままこの校舎にいて、6年生から基幹校に移るか、

それとも他塾に移るか。

 

校責の暴走 

 

飛び級」のような指導方針

閉校に関しての説明会の中で、今後の方針を話されました。

それは後で考えれば、全く無茶苦茶な方針だったのです。

自分(校責)は5年生をこのまま指導したいができなくなった。

それでもどうしても伝えておきたいことがある。

だから5年生の1年間は、

5年生の内容と同時に6年生で教える内容も並行して指導する

 

これを聞いた時なぜ「おかしい」と思わなかったのか!

これは半分「飛び級」と同じではないでしょうか。

 

5年生と言えば、受験で最も大事な一年。

そこで普通はこんな荒い扱いはしません。

 

5年生で受験内容が終わり、6年生からは志望校特訓に入っていきます。

5年生の内容が習得不完全となれば、

その遅れを挽回する時間がありません。

 挽回できなければクラス落ちとなり、

志望校に見合った授業が受けられず、さらには特訓の資格が取れなくなります。

 

でもその時は

「定評のある先生の「秘訣」が聞けるのだからついて行かないと!」と、

愚かなことを思ってしまったのです。

まだ懲りないのか?バカものー!と自分を殴ってやりたくなります。

 

無茶をした理由と説明責任

新年度からは、校責の都合で2つあったクラスは1つに統合され、

偏差値でいうと40辺りから60後半までの子が、一緒に授業を受けることになりました。

こういう状態で授業を受け、その内容が理解できるのは、

偏差値60以上の生徒だけです。

甘く考えても55以上。

つまり偏差値55未満の生徒は見捨てられたという事です。

 

校責としては、

事前に説明したのだから、継続して通うという事は了解済みである、

という認識なのでしょう。

でも説明したのは「決まったことの連絡」だけ。

その結果どのような状態になるかについては一切言及せず。

「質問力」がなかったこちらの責任という事なのでしょう。

 

校責はなぜそこまでして5年生を指導したかったのか?

当時の5年生には、偏差値70近くの生徒が3人いました。

それ以上は憶測になるので言いませんが、

自分の講師生活に、最後の花道を作りたかったのではないかと思ってしまいます。

 

つまり塾とはそういう所です。

我が子が最上位の成績でない限り、

親は塾の動向をしっかり見ておく必要があります。

塾の方針に流されてしまった私は、

その後大きな代償を払う事になります。

 

 

次回は 中学受験・我が家の体験談その3「ついに転校を決意する」です。