息子と受験と狂想曲

受験と教育よもやま話

英語民間試験が来年度延期と発表。「大学」は何をする所なのか、はっきり決めなくてはならない時期に来ていると思う

延期とは、文科省も思い切りましたね。

後々の処理を考えると、よく踏み切ったなぁと思います。

 

 くすぶっていた火種が大臣の「身の丈発言」で一気に火がついたような感じ。

火消をするには仕方がない、と言うところでしょうか。

民間英語団体への補償やら何やらで、また大金が動くのでしょうねぇ。

やれやれ。

でも良かったんじゃないですか、延期となって。

 

文科省有識者会議 

問題の民間英語試験は、

楽天の三木谷氏はじめ、

文科省有識者会議のメンバーが言い出したこと。

 

三木谷氏のほかに安河内哲也氏という「実用英語推進機構」の代表理事もいる。

安河内氏は東進ハイスクールとも関わりのある人だ。

三木谷氏と安河内氏はともに、英語4技能の推進派。

 

彼らがなぜ4技能を推進したいのかと言うと、

簡単に言うと「英語に堪能な人材」がほしいから。

これは大学入試とは全く関係のない話です。

いつもの事ですが、経済界の思惑強しです。

 

共通テストの国語でも、

読解力を育成したいと言いつつも、

契約書やビジネス文書を読めるようにしたいだけなんじゃないの?

と思うような記述問題。

読解力とは何なのかと思ってしまう。 

 

いったい大学をどうしたいのか 

「大学」とは何か。

 

研究・教育機関として維持していくのか、

それともビジネスマン養成所として機能させていくのか。

 

高校卒業生の6割近くが大学に進学する今、もう一度よく考えてみる必要がある。

そして就職に関しては、

もう一度「高卒」に日を当てることが重要なのではないでしょうか。 

 

大学の目的別ランク割り

何年か前に、大学をランク割りしようという案があった。

Aランクは学術研究・教育拠点

Bランクは高度な教養・専門性を養成

Cランクは実務能力養成

 

この案は良かったんじゃないかと思う。

大学を目的別で分けてしまう。

研究なのか、

有能なビジネスマンを育てるのか、

それとも即戦力の実務の人間を育てるのか。

 

ただ、Cランクがなぜ大学でないといけないのか疑問。

なぜ高校ではダメなのか。

 

大卒はそんなに必要なのか?

かつては商業や工業高校がCランクと同じような役割を担っていたと思います。

そこを卒業すればそこそこ良い就職先があった。

経済構造が変わったこと、大学進学者の増加などで徐々に凋落。

 

でもねぇ、職場に大卒って、人数そこまで必要ですか?

絶対に大卒でないとできない仕事ってどれだけあるんでしょうか。

 

多くは高校卒業でもやって行けるような気がするんですが、

今はそうではないの?

教えてもできないほど、内容が高度なものになっているのでしょうか。

 

 経済界は、グローバル化で英語が必要だと言うけれど、

仕事で英語なんてほとんど使わないよ、という人の方が多いのではないでしょうか?

 

改革に関わる人はいつでも、最上位にしか興味がない。

にも関わらず、ほぼ全員が改革の波に翻弄されることになってしまう。

 

勉強が苦手だと高卒でも大卒でも就職先がない 

決して安くはない授業料を払って卒業しても、就職できない人が山といる。

高卒では勉強が得意でないと正社員としての就職先がないから、

勉強が苦手な子は大学に行くしか道がないという、摩訶不思議な事になっている。

 

大学に行ったとしても4年後に同じ現実が待っている可能性が高く、

問題を先送りしているだけともいえるが、

ではどうしたらいいのかは誰にも分らない。

 

私の周りには、子供さんがこういう状態だという人がチラホラいます。

「Fラン大学」と悪く言われることが多いですが、

そこに進学せざるをえない理由があるんだと思う。

 

 

企業の採用に高卒枠を強制したら? 

高卒の方が就職に有利となれば、

大学受験から解放される人は多くなるのではないだろうか。

全員がたった一つのレースで競い合うことを、

少しでも避けられるのではないか。

 

例えば従業員の何割かは、

絶対に高卒を雇わなくてはならないと決めてしまえばどうだろうか?

電車の運転士や地方公務員の採用試験に高卒枠があるように。

そして高卒枠の人数を多く設定しておく。

 

大卒枠はそれに並行して少なくなる。

就職に関して大学に行くことが危険な賭けとなれば、

そこから降りる人も多くなるのではないだろうか。

それでも、その少ない大卒枠に人が殺到するのか?

 

就職券売機としての大学

学校の勉強が好き、

あるいは学問を追求したいなら大学へ行けばいい。

でも苦手なら別の道を行きたいし行かせてやりたい。

 

ただ就職切符を得るためだけに大金を払い、

4年間と受験期間という若い間の貴重な時間を使う。

これはまったく無駄ではないだろうか。

 

大学が就職切符を配るだけの券売機なら、

入学試験にパスした段階でさっさと配ってしまえばいい。

 

大学の勉強なんて関係ないのでしょ?

理系はともかく、文系はここ何十年もそうじゃない?

地頭のよさや性格動向をみたいのでしょう?

それなら入試や高校時代の経験で、ある程度わかるんじゃない?

 

切符さえ配ってくれれば、18歳で世に出ることができる。

その後もし必要性を感じれば、その時点で大学の専門教育を受ければいい。

 

早く世に出て働きたい、活動したいと思う若者は多いと思う。

それを無駄に足止めしているのが、

ここ何十年も続いている「大学」の姿だろう。